1990年代前半、スノーボードカルチャーを牽引したのはビデオだった。
爆発的な人気となった「ROADKILL」をはじめ、「Project 6」「The Garden」など、スノーボーダーたちはシーズンごとに発売になるビデオ作品をこぞって買い求め、テープが伸びるまで繰り返し見て、モニターに映るプロライダーの姿を脳裏に焼き付けた。
その中でもワイドスタンスでややレイト気味のスピンを繰り出し、素手でグラブする…圧倒的なスタイルを誇ったジェイミー・リン(Jamie Lynn)は、スノーボードキッズたちを魅了する正真正銘のビデオスターだった。
Episode-3 アドバンスマーケティングが考えるライダーのポジション。
そのジェイミーが世界的なビデオスターになる前から、アドバンスマーケティングでは彼を日本に招待していた。理由はシンプルだ。彼が、LIB TECHのライダーだったからだ。ジェイミー初来日を、宮沢はこう振り返る。
「私はもう、アドバンスマーケティングが扱ってるブランドの良さをいかにアピールするか、うちで扱ってる製品の素晴らしさをお客さんに理解してもらって、みんなが買って良かったって喜んでもらえることを考えていました。そのためにどうしたらいいかっていう答えのひとつが、プロライダーと一般のお客さんとの接点を作ることだったんです」
宮沢は20年以上に渡りアメリカで暮らしていた。その肌感覚として、スケートボードやスノーボード、サーフィンといったアクションスポーツのファンが大事にするのは理屈ではなく、体で感じる情熱や衝動だろうという感触を得ていたのだ。
「だからまずはすごいな、かっこいいな、やってみたいなって思ってもらえることが大事だと感じていました。それにはプロライダーの姿を生で見てもらうのがベストだろうって思ってたんです」
こうした感覚もアメリカで培われたものだ。スポーツは技術の向上や勝つことだけで前に進めるものではない。憧れもまた、大きなモチベーションのひとつだ。
「そこで、取り扱いブランドのプロライダーを日本に招待しようと考えました。マーヴィン・マニュファクチュアリングにプロライダーを紹介して欲しいってお願いしたんです。渡航費も滞在費もすべてアドバンスマーケティングが負担するから日本に来てくれないかって」
「そしたらマーヴィンは、うちでライダーって形で契約してるのは今二人しかいないから、その二人を向かわせるよって言ってくれました。それがジェイミー・リン(Jamie Lynn)とマット・カミンズ(Matt Cummins)だったんです」
「たぶん92年の冬だったと思います。国内で開催されたJPSTの大会に、ゲストライダーとして参加したんですよ。ジェイミーもマットも、すでにビデオなんかで有名になってたライダーたちとは違って、知名度もほとんどない。単に、アドバンスが連れてきた外国人ライダーっていう扱いでした。
大人しくてパーティーで大騒ぎするタイプでもないから、目立つこともない。だけど滑ったらすごいわけですよ。パワフルだけどムダがなくて、滑れば速いし、スピードを全部高さに変えるようなジャンプを見せる。LIB TECHの板っていうのはああやって乗るものなんだっていうのが、見てる人にも伝わったんだと思います」
宮沢がもうひとつ大事にしていることがある。それはライダーの人柄だ。
「スケートボードもスノーボードもサーフィンも、子どもに与える影響はものすごく大きいんです。だからきちんとした態度でファンに接することができる人じゃないと、うちのライダーですってお客さんの前に出すわけにはいきません。その意味でもディストリビューターとしては、そういうジェントルなマインドを持ったライダー、自分の役割や立ち位置を理解しているライダーをサポートしてるブランドを支えたいと思っていました。同時に、日本でアドバンスマーケティングのライダーを起用するときには滑りと人柄と、両方でファンをつかめる人でないと困る、って思ってたんです」
「それは決して、マジメな人がいいっていう意味じゃないんです。多少は個性的でもいい。素行の問題じゃなくて、優しさや思いやりがない人をライダーにするわけにはいかない、と思ってました」
なぜならライダーはファンサービスが大切な仕事だからだ。子どもたちの憧れの存在であることこそ、その存在意義だと宮沢は考えていた。
憧れのライダーとの距離感を縮めて、交流する喜びと滑る楽しさを満たす。それを具体的な形にしたのが、1994年から始まった『アドバンスカップ』だった。ハーフパイプやジャンプなどのコンテストを開催しながら、ファンとライダーが交流を図る。
もちろん、その運営にはお金がかかる。海外から10人を超えるプロライダーを招待し、国内のライダーたちも呼び集める。イベントを支えるスタッフたちのことも考えれば、その総額は結構な額になる。
「確かに経費はバカみたいにかかりました。だけど、それでみんなが楽しめるんだったらいいじゃないかと思ってました。ライダーたちも、年に一度のお祭だ、ってアドバンスカップを楽しみにしてくれてた。お客さんたちも有名なライダーの滑りを目の前で見れるって喜んでくれる。そこで生まれてくる効果っていうのは金額換算できないくらい大きなものだって思ってましたからね」
残念なことにしばらくのあいだ、アドバンスカップはコロナ禍の影響でその開催が見送られていたが、宮沢はその影響力を感じることがあるという。
「アドバンスカップ自体、もう30年近くも続けてきたでしょ。そしたら、私が初めましてって挨拶した人が、宮沢さん僕はいついつのアドバンスカップに出てたんですよと話してきて、私のことを知ってるわけですよね。『参加してどうでしたか?』って聞いたら『すごく楽しかったです』、って言ってくれる。そういうことがあると、ああ、大変だったけどやってよかったなって思いますよね」
こうしてアドバンスマーケティングはユーザーサービスを優先するディストリビューターとして、日本のスノーボードカルチャーを支え続けてきたと言える。だが宮沢はこう言って笑う。
「いや、私はそんな大それたことは考えてないですよ」
しかし現実的に考えて、アドバンスマーケティングの協力がなかったらLIB TECHやGNU、ALLIAN、ROXYの魅力は正確にユーザーに伝わらなかったであろう。アドバンスカップをはじめとしたイベントを通じて、プロライダーの滑りに触れる人は少なかっただろう。ディストリビューターとしての協力がなければいくつかのブランドは続いていなかったかもしれないし、いくつかのブランドは生まれなかったかもしれない。それほどまでにアドバンスマーケティングの存在感は大きい。
「まぁ、そう言ってもらえるのはありがたいけど、私は何かを成し得ようなんて考えはまったくなくて、ただ、みんなで楽しいことをしたいだけなんですよ。上手い下手なんて全然関係なくて、一緒にサーフィンするのも、一緒にスケートボードするのも、一緒にスノーボードするのも、全部楽しいでしょ。楽しいっていう気持ちにプロもアマチュアもないですからね。ただそれだけですよ。
そもそもね、アメリカで勤めてた会社が倒産しちゃって、それで日本に帰ってきた。アドバンスマーケティング自体、何もないところから始まってるから、ゼロになって当たり前。私自身、金持ちになろうって思ってこの仕事をやってるわけじゃないですから。ただね、楽しくはありたいし、お客さんには喜んで欲しい。だからうちで扱う以上、どんなブランドでもきちんとプロモーションをして、いいところを明確にして、お客さんに買って良かったって思ってもらえることを一番に考えてます。そうしてこの楽しいスポーツを、もっとたくさんの人と一緒にできたら最高じゃないですか」
2022年、宮沢は創業35年を区切りに、アドバンスマーケティング代表取締役の座を娘の佑季(ゆき)さんに譲った。
「まぁ、そろそろ世代交代しようかなと思ったんですよ。この35年間、私は非常に楽しくやってこれました。それは間違いなく、いろんな人のおかげで、感謝しかないです。だからこの楽しさを、今度はこれからの人たちに伝わるやり方で、伝えていって欲しいなと思ってますね」
佑季さんはアドバンスマーケティングの広報を担当していたこともあり、宮沢のビジネスに対する考え方やユーザーを大切にする姿勢、そしてディストリビューターが果たすべき役割もよく知る。また長くアメリカで生活してきたこともあって、海外メーカーとのコミュニケーションも自ら行う。
そしてお気づきだろうが、宮沢がアドバンスマーケティングを立ち上げるきっかけとなったのが、アメリカで流行っていたスケートボードを欲しがった娘の存在であり、その娘というのが佑季さんなのだ。
横乗りの環はつながり、新しい世代へと受け継がれた。これからもアドバンスマーケティングはユーザーの情熱に寄り添うディストリビューターとして、エキサイティングなアイテムを我々のもとに届けてくれるに違いない。
※文中一部敬称略
マイク宮沢(宮沢武久) 山梨県出身。1966年に光学機メーカーの駐在員として渡米。その後、都合20年に渡ってカリフォルニア州他で仕事をしながらアメリカ生活をエンジョイした。西海岸の自由な空気感を活かした独自のビジネスセンスは、やがてスケートボードとスノーボードへと帰着。多くの刺激的なブランドを日本に紹介し、長きに渡って日本のヨコノリカルチャーを支えてきた。2020年東京オリンピックでは、スケートボードの種目追加にも係った。
Message ~マイク宮沢氏とアドバンスマーケティングについて、思うこと~
■Ingemar Backman(プロスノーボーダー/ALLIAN)
マイク宮沢氏に最初に会ったときのことを覚えていますか?
「もちろん! たぶん1995年だったと思うけど、ちょうど僕らはATLANTIS WORLDっていうスノーボードブランドを立ち上げたところで、アドバンスマーケティングは日本の販売代理店になってくれたんだよ。
会った瞬間から、彼が信頼に足る人物だっていうのはすぐに分かったし、その印象はずっと変わらないままだね。ビジネス面でも大きな手助けをもらっているし、後にたちあげたALLIANやWE clothingといったブランドは、マイクなしには実現できなかったと思ってるよ」
マイク宮沢氏についての印象を聞かせてください。
「マイクはいつも知識と経験に基づいた適格なアドバイスをくれるけど、何よりもスノーボードやスケートボードに対するピュアな情熱を感じさせる人だよ。そして、そうしたアクションスポーツに夢中になるユーザーや若いライダーたちのことを真剣に気にかけてる。その意味で、学ぶべきことの多い人だと思ってる。
それと、マイクはいつも落ち着いていて静かな人なんだ。ずいぶん長い付き合いだし、彼とはヨーロッパや北欧、北米といろんなところを旅してきたけど、彼がパーティーで騒いだりしてるのは見たことがないな。僕らがひと晩じゅうバカなことをしてるときでも、僕らをたしなめることはないし、迷惑そうにすることもない。彼は静かに、また明日、って言ってベッドに入るんだよ。その微笑みには、個人個人を尊重する彼の強さと優しさを感じるよ」
■山崎勇亀(プロスノーボーダー/ LIB TECH)
アドバンスマーケティングとの出会いを教えてください?
「もう28年くらい前になります。最初、僕は静岡のブロスっていうお店で、スケートボードでサポートしてもらっていたんです。その流れでスノーボードも、あるブランドからサポートしてもらうことになっていたんです。その頃はスノーボードビデオがブームだったんですけど、たくさん作品を見てる中でこの人はぜんぜん違うな、めっちゃかっこいい!と思うライダーがいて、それがジェイミー・リンだったんです。
そのジェイミーが日本に来るよって聞いて、白馬乗鞍でのアドバンスカップ(1994年)を見に行きました。そしたらLIB TECHからジェイミーのシグネチャーモデルが出るって教えてもらって。もう、いても立ってもいられない、ジェイミーの板に乗りたい、LIB TECHに乗りたいってブロスの社長に相談したんです。そしたら社長が上手くサポートの調整をしてくれて、アドバンスマーケティングとも話してくれて、最終的にジェイミー・リンのシグネチャーモデルに乗れることになったんですよ。ものすごく嬉しかったですね。以来ずっとLIB TECHで、ずっとアドバンスマーケティングのお世話になってます」
マイク宮沢氏はどんな人ですか?
「すごくフレンドリーな人で、それは最初からですね。LIB TECHでサポートしてもらったその年にプロに上がったんで、サポートのお礼と報告に行ったんですよ。その時も、ジェイミーの板でハーフパイプやってプロにあがったの? あの板でハーフパイプ入る人なんていないよ、すごいねーって喜んでくれて。
LIB TECHから僕のシグネチャーを出してもらえたのも、宮沢さんが熱心にLIB TECHと話してくれたからなんですよ。しかもそのお披露目が97年のアドバンスカップ栂池で。ジェイミーとか、アドバンスのライダーが全員いる前で、LIB TECHから勇亀のプロモデルが出るよ、ってスピーチしてくれたんです。もちろん僕は憧れのブランドからシグネチャーを出せたっていうことでものすごく嬉しかったんですけど、それ以上に宮沢さんがその場を作って自ら紹介してくれて、みんなが良かったねって言ってくれる雰囲気を作ってくれたのが嬉しかったですね」
■坂林聡樹(スノーボードショップ「TRICK STAR」オーナー)
マイク宮沢氏を一言で表すなら?
「いい人、ですね。マイクさんはずっとそうなんですけど、若い子の情熱とかやる気とかをしっかり受け止めてくれるんです。だから新しくブランドを手掛けることになっても、そのブランドを成長させるために何が必要なのか、資金なのかプロモーションなのかってことをちゃんと考えて、若いスタッフに任せながらも裏方として必要なサポートをしてるんですよね。
マイクさん自身は、自分は運がいいだけだよっていつも言いますけど、絶対にそれだけじゃなくて、やっぱり人柄だと思うんです。偉ぶったりオレがオレがって出ていくこともなく、黙って業界やライダーを支えてくれる。それでいて、厳しいこともちゃんと言ってくれる。ほんとに強くて頼りになる人だと思います」
アドバンスマーケティングの功績はどんなところにあるとお考えですか?
「いくらマーヴィンがいいものを作っても、ディストリビューターがそれを理解してなかったら、今のような状況にはならなかったと思うんです。マーヴィン独特の土臭くて、だけどスノーボードが大好きで、新しいことに挑戦することにエキサイトしてる。そういう雰囲気をちゃんと受け止めて、わかりやすい形にして日本に紹介してきた。
僕らが実際に触れてるLIB TECHの雰囲気っていうのは、アドバンスマーケティングが育ててきたものであり、それはイコールでマイクさんなんですよ。その意味で、メーカーの考えや姿勢と協調しながら、35年間もディストリビューターを続けてきたっていうのは、絶対的な信頼関係がないとなし得ないことだと思うんですよ。マーヴィンはすごいものを作ってます。すごいしかっこいい。その大事なエッセンスはそのまんまにして、ユーザーにも分かるように噛みくだいてくれてるところが、アドバンスマーケティングのすごいところだと思います」
坂林氏の興味深いマニアックな解説が炸裂するyoutubeチャンネル「TRICKSTAR BACKYARD TALK」。LIB TECHの貴重な情報も盛り沢山なので是非チェックしてみよう。https://www.youtube.com/@antimajors
■Mike Olson(マーヴィン・マニュファクチュアリング 創業者、LIB TECH エンジニア)
マイク宮沢氏との30年間を振り返ってどんな印象を持っていますか?
「私達がスノーボードを作り始めたのは1970年代後半で、試行錯誤しながらいろいろな形のスノーボードを作って滑っていました。GNUを始めたのは1985年頃で1988年のラスベガスSIA(展示会)でマイク宮沢と会い、日本のビジネスをスタートしました。
その後、1990年の9月にサンディエゴで開催されたASR(アクションスポーツリテールショー)でLIB TECHNOLOGIESを発表しました。マイク宮沢はスケルトングラフィックに苦笑いしながらも熱意を溢れさせて、日本の代理店になりたいと話してくれました。マイクがいったいどんなプロモーションをしたのかと不思議なんですが、初年度からLIB TECHNOLOGIESは日本で話題になり、想像以上のセールスをあげてくれたことを覚えています。このとき、私達はパートナーシップを組むべき相手がどういう人であるかを知りました。私達の情熱をユーザーに届けてくれる人。親切で正直で謙虚で、楽しいことが大好きな人。私達はマイク宮沢という、人生に前向きな人と歩んで来たことをとても嬉しく思っています」
あなたにとってマイク宮沢氏はどんな存在ですか?
「良き友人、という表現がいちばんだと思います。一緒にビジネスをしているけれど、その繋がりはビジネスパートナーという関係を超えたものだと感じています。
たとえばマイクは、こんなふうに成長していきたいという人生のお手本そのものなんです。20数年前にマイクをサーフィンに連れて行って以来、彼はずっとサーフィンにハマりっぱなしなんですが、マイクを知っている私の友人たちは皆、マイクが若々しく健康なままサーフィンを楽しんでいる姿に憧れているくらいですからね。
なぜマイクはあんなに健康的なんだ?っていう話題になったとき、いつもする話があります。初めて日本に行ったとき、マイクは”Natto”という匂いの酷い豆を食べることを教えてくれました。豆は匂いのするネバネバに包まれていて、いっしょにいたジェイミー・リンやデイブ・リー、バレット・クリスティらは食べようとしませんでした。私はなんとかトライに成功して、箸で豆をひと粒ずつつまんで食べていたんです。するとマイクは豆の上に生卵を割り入れてかき混ぜ、ご飯にかけて食べるんだよって教えてくれたんです。私達にはびっくりするような食べ方でしたが、マイクのエネルギッシュな姿を見ていた私は、なるほど!マイクのやるとおりにしよう!!と思い、その後の旅の間は毎日臭い豆と生卵を食べました。
その頃から私達はみんな分かっているんですよ。健康のこともビジネスのことも、マイクのようになりたければ、マイクがしているとおりにやればいいんだ!って。おかげで私もずっとサーフィンをして、ずっとスノーボードを作ることを楽しめていますよ」
インタビュー:林 拓郎
Photo: ZIZO
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