The Story of ADVANCE Marketing~マイク宮沢氏に聞く。『スノーボードカルチャーとともに歩んだ35年の歴史』<第1章>

LIB TECHをはじめ、GNUやALLIANなどのスノーボードブランド、そしてサーフィンやスケートボードでも多くのブランドを取り扱うアドバンスマーケティング。 まだスノーボードが一般的ではなかった頃から、多くの個性的なブランドとつぎつぎに深いつながりを結んできた。 その背景にはどんなストーリーがあったのか。 今回から3回に渡って日本のスノーボード史とともに、アドバンスマーケティングの歴史を辿ってみたい。

Episode-1 その始まりには….

 LIB TECHをプロデュースするMervin Manufacturing(マーヴィン・マニュファクチュアリング)と強いつながりを持ち、Jamie LynnやTravis Riceといった超大物ライダーたちが「アドバンスマーケティングのためなら」と来日を果たす。その最大の要因がマイク宮沢氏の存在だ。 アドバンスマーケティングが立ち上げられたのは1987年。創業者のマイク宮沢は日本生まれだが、1966年に21歳で渡米。当時は海外渡航が自由化されたばかりであり、アメリカに渡ることは資金だけでなく滞在方法まで含めたあらゆる面で高嶺の花だった。が、宮沢は当時勤めていた会社の中で募られたアメリカオフィスへの出向に応募。 「ビートルズファンで英語も勉強していたから」 ということから、見事に海外勤務の座を射止めたのだ。

「ずっとアメリカには行ってみたいと思ってたから、英語は独学で勉強してたんですよ。そりゃあ嬉しかったよ。見るもの、食べるもの、全部が新鮮でしたね」 アメリカは美しく、楽しく、刺激的だった。宮沢はそのアメリカに少しでも長く居たいと考えて転職を決意。ハンティントンビーチにオフィスを持つ輸出入関連の日本企業に籍を求めた。 ところが、その会社が1987年に倒産してしまう。宮沢は異国の地で家族を抱えたまま、職と住む場所を失うことになる。

「こうなったら独立して自分で事業を始めよう。だけど何しようか、って思いながらいったん帰国したんですよ。日本では世田谷に住んでたんだけど、娘がスケートボードが欲しいって言うもんだから、自由が丘の丸井に見に行ったんです。向こうにいるときには子どもたちはしょっちゅうスケートボードをやってたし、私もちょっと貸せって遊んでたし。スケートボードは日常生活の中にある、ごくごく普通のおもちゃだったんです」 ところが、日本では様子が違っていた。

「アメリカで何十ドルかで手に入るものが日本だと20,000円近い値段で売られてました。それに驚いたんですよ。娘には次にアメリカに行ったときに買ってきてあげるって、そのまま帰ったんです」 ちなみに1987年の年平均USドル/円為替レートは144.6円。20,000円は約140ドル弱にもなる。

「アメリカだったらごくごく当たり前のスケートボードが日本ではまだまだ珍しいものだったんです。なるほど、これはおもしろいかもしれないなと思いました。それでアメリカに戻ったときにサーフショップを経営してるエドっていう友人に、スケートボードの輸入をしてみようと思うんだけど、って相談したんですよ。そのエドに紹介してもらったのがSure Grip(シュアグリップ)っていう会社でした。Sure Gripはローラースケートで有名なメーカーだったんですが、プロスケートボーダーのトニー・マグナソン(Tony Magunusson)が立ち上げたH-street(エイチ ストリート)っていうブランドも始めたところだって。それはいいね、ってことになってH-streetと、Sure Gripのコンプリートスケートボードと、紹介してくれたエドがやってるエド・セーカル(Ed Sakals)のサーフボードとを商材にして、アドバンスマーケティングを立ち上げたんです」

アドバンスマーケティング創設時に雑誌に掲載された広告原稿

 しかし、長く住んだアメリカで会社倒産の憂き目にあい、途方にくれることになった。そのとき、先行きに不安はなかったのだろうか? 「だってそんなの、くよくよしてもしょうがないでしょ(笑)。アメリカはいい意味でも悪い意味でも個人主義で、若いときからずっとそういう社会を見てきましたからね。後ろ盾がなくなったんなら、自分でやればいい。それは私にとっては何も特別なことじゃなかったし、自然とそう考えてたような気がしますよ」 宮沢はこともなげにそう語る。心が決まらないなら、決まるまで待てばいい。分からないことは、仲間と語り合えばいい。ただし、やるべきことが見つかったのなら、全力で前に進む。いったん決めたら、やり抜く。そのとき、ブレてはいけない。自分の気持ちがいちばん落ち着く形でやる。宮沢のこうした根っからの前向きな気質が、この後のLIB TECHやGNUとのつながりを育てていくことになるのだ。

※文中敬称略

>次回 Episode-2に続く

Mervinの創業者、MikeとPeteが語り掛ける倉庫の壁には、Advance Cupで来日したライダーやオリンピックのメダリストのサインが満載!!

マイク宮沢(宮沢武久) 山梨県出身。1966年に光学機メーカーの駐在員として渡米。その後、都合20年に渡ってカリフォルニア州他で仕事をしながらアメリカ生活をエンジョイした。西海岸の自由な空気感を活かした独自のビジネスセンスは、やがてスケートボードとスノーボードへと帰着。多くの刺激的なブランドを日本に紹介し、長きに渡って日本のヨコノリカルチャーを支えてきた。2020年東京オリンピックでは、スケートボードの種目追加にも係った。


 The Other Stories ~ストーリーに載りきらなかったいくつかの話題~

■なぜ、つくばに社屋を構えたのですか?

「アドバンスマーケティングは最初、世田谷にあったんです。ビジネスは当時住んでた家でそのまま始めたから。だけど4~5年やってるうちに倉庫も必要だし人も雇わないといけないし、ってことになってきて。その頃は商談とかいろんなことでしょっちゅうアメリカに行ってたから、やっぱりアクセスのいいところがいいなって。それでつくば市は緑が多く、アメリカ的な街づくりでしかも成田へのアクセスも良いのでここに決めました。だけど借りた倉庫も数年ですぐに手狭になっちゃって、なかなかいいのが見つからなかったんです。それならもう、このあたりで土地を買って建てちゃおう、で一箇所で倉庫もオフィスもぜんぶカバーしようって、今の社屋を作ったんですよ。その頃、ほとんどの輸入代理店は都内にあったけど、私はもう東京の人が多いところはいいやって思ってたし、営業のスタッフも高速道路ができたりして東京に行くのが楽になったこともあって、結果的に東京にこだわらなくなったんですよ。まぁ、のんびりしたところで仕事ができる環境が作れてよかったと思ってますよ」

畑と森林に隣接する社屋の周りには社員の手によって、手作りのスケートパークがつくられている。屋根には社内全電力をまかなって大いに有り余るソーラー発電施設がある

■会社敷地内にスケートパークがあって、夏には倉庫の軒先でバーベキューを楽しんでいます。この自由な社風はどこから来たものでしょう?

「今のアドバンスマーケティングはほんとに田舎にあって、何をしても別にご近所に迷惑になるってこともないんですよ。スケートパークはスケートの好きなスタッフがいて、ある日 “社長、駐車場の端っこでスケートできるようにしていいですか?” って言ってきたから、好きにしたらいいよって答えたらだんだんコンクリートを流し込んだりして本格的にやり始めて、気がついたらああなってました。それも楽しんでやってるんだったらいいよ、って言ってるんですよ。私は仕事でもなんでも、やるなら楽しくやったほうがいいと思ってるからね。うちは社員同士でスケートしたりスノーボードしたりサーフィン行ったりしてますよ。なにしろ趣味が同じ人達が集まってるんだから、それは自然なことだろうし。そんなだから、仕事が早く終る日にはみんなで肉でも焼いて食べようよ、ってなることも多いし。それでみんなでワイワイいってバーベキューしながらスケートしたら楽しいでしょ。自由な社風は、私が作ろうと思って作ったわけじゃないんですよ。たぶん社員が楽しんで仕事をしてくれてるからじゃないですかね」

『好きなものに囲まれて働ける環境』宮沢氏の生き方がそのまま投影された倉庫。毎日全国のスノー、スケート、サーフショップへの出荷作業がおこなわれている倉庫スペース

■スノーもスケートもキッズの育成に力を入れられてますね。それはどういった考えからですか?

「それは私の人生観にも基づいてるんだけど、子どもたちが楽しいって思えない世界は良い世界じゃないと思ってるんですよ。もともと子どもたちにもスケートボードやスノーボードを体験してもらって、こんなに楽しいこともあるんだよっていうのを知ってもらいたいって思ってたんだけど、ちょうど2006年頃にワールドインダストリーズからキッズ向けのスケートボードが発売されたんですよ。これはいいなって思ったけど子どものおもちゃとしては高いし、当時の日本にはそれほどスケートパークもないし。このままじゃあ広がらないと思って、本国と交渉して値段を下げたり、地方のスケートパークでイベントをやったりしたんですよね。そうしたなかに、今世界で活躍してるスケーターたちがキッズとして混ざってた。決して、日本のスケートボードシーンを盛り上げようなんて思ってもいなかったけど、20年近く経ってみたら日本がスケートボードのコンペティションでは常に上位を占めるようなことになってるし、地方自治体がお金をかけてスケートパークを整備するようになってきた。嬉しい時代になったなと思ってます」

ワールドインダストリーズのキッズスケートボード(写真は2007年頃のもの)
ワールドインダストリーズではその後キッズ用スノーボードも格安な値段で販売している

インタビュー:林 拓郎
Photo: ZIZO