アメリカのB4BC(1996年設立 乳がん啓発団体)は、昨年日本人女性スノーボーダー達によってB4BCジャパンを設立した。スノーボードやヨガを通して自然の中で心身を癒すことで、女性の乳がん患者を減らしながら患者の身体や心の解放をサポートする団体である。日本のB4BCメンバーでもあり、日本とアメリカのスノーボードシーンを長年見続けてきたGNUライダーの水上真里が、スノーボードシーンの歴史を振り返りながらB4BCジャパン設立の経緯を伝える。
Text: Mari Mizukami
B4BCについて
B4BCとは「Boarding For Breast Cancer」の略で、直訳すると「乳がん啓発運動のために滑り続ける」という意味。元々、アメリカのスノーボードシーンを支える女性プロライダー達のコミュニティから作られた乳がん啓発団体だ。B4BCジャパンは杉山(旧姓: 山越)知子が中心となり、BURTON通訳担当の中野いずみと、私、水上真里を含めた3人の理事によって設立する運びとなった。私たち以外にも日本のガールズスノーボードシーンを牽引する藤森由香、降旗由紀なども協力してくれている。
まずはアメリカのB4BCと実際に関わってきたB4BCジャパン代表の杉山知子(以下TOMO)についてお伝えしたいと思う。
約25年前のスノーボードシーンで彼女はどんな存在だったのか?当時の彼女と関わってきたライダー目線でTOMOのスノーボードライフを伝えていきたい。
彼女は当時、世界初のガールズスノーボードブランド「Choras(コーラス)」のサポートを本国から受けていた。そのチームライダーたちは一世を風靡していた以下5名の女性ライダーだった。
写真1番上がTOMO。そして2番目はロバータ・ロジャーズ、可愛くて細身の体からは想像もつかない滑りをするライダーで、夫はJPウォーカー。次はレスリー・オルソン。X Gamesのボーダークロスで優勝する実力の持ち主だ。その下は、ジャナ・メイアン、US-Openのスロープスタイルで優勝する実力を持ち、メンズさながらの滑りで長年彼女の滑りはVolcomの広告にも採用されていた。最後はキャラ・ベス・バーンサイド、VANSから女性初のシグネーチャーモデルを出し、プロスケーターでもある。X Gamesではスケートもスノーボードも出ていた横乗りの天才。
この名だたる女性プロライダーの中で唯一の日本人である山越知子は、まさに世界中の女性スノーボーダーが憧れるような地位を築いていた。
私が初めてTOMOと出会ったのは遡ること今から25年前。まだ日本ではハーフパイプが主流だった頃のこと。アメリカのMt.バチェラーをベースに住んでいた彼女と、トランスワールド誌のガールズ企画で一緒に撮影をすることになったことがきっかけだった。
日本から参加したメンバーは私と柳沢景子。彼女は25年前からハーフパイプやジャンプで男顔負けのバックサイドロデオを決めなどライダーの中でも1つ上の存在だった。プロに上がったばかりの私にはドキドキするようなメンバーだったことを覚えている。日本から飛行機でオレゴンの空港へ着いてバチェラーへと向かい、TOMOと出会った。
当時は今と違って日本のスノーボードスキルはアメリカより10年以上遅れていると言われていた時代だった。スキルもそうだが、英語がカタコトの日本人はさらにアメリカのライダーたちに認められるのが非常に厳しかった。
それなのに、バチェラーの街でも雪山でも大人から子供までがTOMOを見かけると声をかけて、すぐに輪ができるほど彼女は絶大な人気者だったのだ。
私たち日本人ライダー3人とバチェラーのローカルライダーとの撮影だったため、誰がどんな滑りをするのかとても楽しみだった。みんなで撮影ポイントを探していると景子が「まり、ジャンケンで勝った方が先にこのクリフを飛ぼうよ!」。一発目から厳ついクリフ(崖)を見つけた彼女は私に笑顔でそう言ったのだ。
「えっ、負けた方が先に試し飛びするんじゃないの?」と思ったが、当時世界のトップで活躍していた景子には当たり前のことのようだった。そしてジャンケンで勝った彼女は、一番手でクリフを飛んで消えていった。
私も覚悟を決めて飛んだ。そして次がTOMOの番。なんと、彼女はそのクリフを一発目からスイッチBS180でぶっ飛んだのだった…。
『日本人女性でこんな滑りをする人がいるのか…?!』と、衝撃だったのを覚えている。
当時の日本人女性のライダーはハーフパイプ以外はやらないのが普通だったし、今の時代でもスイッチでクリフを飛ぶことはかなりのスキルとメンタルを要するはずだ。
撮影初日の夜、コンドミニアムでテレビを見ていたら、ちょうど行われていたX Gamesのボーダークロスでレスリー・オルソンが出ていた。彼女はTOMOの一番の親友であり、ブラウン管越しに優勝した彼女の姿にみんなで大盛り上がりしたのを覚えている。そして次の日の私たちの撮影にレスリーも参加することになったのだ。X Gamesで世界一になったレスリーの滑りは力強く圧倒されたのを覚えている。
さらにその夜、当時BURTONのビックスターのビクトリアもTOMOに会いにコンドミニアムに遊びにきたのだ。お酒が回ってきたTOMOはみんなの前でふざけて英語でSNOOP DOGGY DOGの早口ラップに振り付けを入れながら完璧に歌い始めるものだから、アメリカのライダー達もお腹を抱えて大笑いしていた。小さな身体でスノーボードではぶっ飛び、英語も堪能で、トップライダーたちと対等に付き合い、そして面白いゆるキャラ的存在。
今でこそ海外で過ごす日本人ライダーは多いが、海外で日本人ライダーのイメージを格段に上げてくれた第一人者だったのは間違いないだろう。そんなアメリカを知り尽くしているTOMO。話は戻り、そんな彼女が中心となって立ち上げたB4BCジャパンの活動について聞いてみることにしよう。
-何がきっかけでB4BCに関わったの?
TOMO: 『私がアメリカでプロ活動を始めた頃、一緒にいたシャノン・ダン(アメリカのハーフパイプ金メダリスト)がきっかけでB4BCを知ることになったの。シャノンがB4BCの設立に携わっていたことで自然とB4BCのイベントに参加するようになっていった。当時のメンバーはプロライダー、ブランドマネージャーの女性たちが作った小さなコミュニティが始まりだったの。
B4BCのイベントって、乳がんの啓発を伝える真面目な感じだけじゃないのよ。伝え方も洗練されていて、なんだかそれがとてもカッコよくて、斬新でスタイリッシュだった。ピンクを基調とした服を着てみんなでアクティブに楽しんでいくことで、乳がんと闘う患者(サバイバー)達が自然と笑顔になれるようなイベントだったの。
大人から子供まで、女性だけじゃなく男性も参加できるようなイベントで、アクティビティを楽しみながら乳がんの早期発見の知識も身につけられるようなとても有意義なイベントだったの。アメリカのB4BCに参加してる時はただ「楽しいイベント!また参加したい!!」って感じだった』。
-何がきっかけでB4BCジャパンを設立することになったの?
TOMO: 『アメリカから帰国した後、結婚して出産したんだけど、その後にね… 実は私自身が乳がんになってしまったの。本当に驚いたわ。ただ、B4BCを通して乳がんについての知識があったから自分で早期発見ができた。B4BCのイベントに出ていなかったら、発見することはできなかったと思う。乳がんになって自分の生き方を振り返るきっかけにもなって、日常の生活が自分に厳しくて無理をして我慢ばかりしていたからだと思ったの。身体だけじゃなく、本当に自分らしい生き方をこれからはしていこうって思えた。そしてアメリカのB4BCのイベントを思い出して乳がん啓発活動を始めることを決心した。
それからすぐにB4BCの代表達と話し合って、その話し合いの時には、メーガン(元プロスノーボーダーで世界的ライダーDCPの奥さん)もいたの。彼女も私と同じ頃に乳がんを患っていて、今はB4BCの乳がんを罹っている人たち(サバイバー)を対象に自然に触れて、身体を動かして心を癒す宿泊施設(リトリート)をしている。乳がんになった後に健康に戻ってまたスノーボードができるようになったら乳癌啓発活動をしたくなるのって世界共通なんだなぁって思った。私はアメリカのライダーたちと横の繋がりもあったからアメリカの頃の輪がまた自然と繋がっていったの。だから今まで自分がやっていたことと、今自分がやりたいことがようやく繋がって1つになった気がする。
自分が乳がんになった原因を考えてみたけど、私はアメリカでスノーボードをしている頃はとても自由に自分を表現して人生を楽しんでいた。だけど日本に戻って結婚して、出産して普通のお母さんになって。それって当たり前のことかもしれない。でも私の中で、自由に生きていたアメリカ時代とのギャップが凄くて…。「今までみたいに自由に自分らしく表現するのを我慢しなきゃ」そんな想いを持ってるなんてダメな母親だと自分を責めながら生きていた。きっとそれが乳がんを引き起こして分かったことなんだと思う』。
過去と現在がB4BCを通して繋がった
乳がんを克服したことで、彼女独自のアメリカのスノーボードシーンとの強固な絆が今度はB4BCの乳がん啓発活動を通して繋がっていった。
TOMOのアメリカとの強固な繋がりと信頼があるからこそB4BCジャパンの活動が始まったのだ。過去と現在がB4BCを通して繋がり動き出し始めた。これからアメリカと日本の架け橋となっていくB4BCジャパンの活動が楽しみでならない。
現在B4BCは26年の年月を経て、年間200日活動をする乳癌啓発活動団体である。B4BCの目的は若い人たちに向けた乳がんの早期発見に繋がる知識の提供、そして乳がん予防として最も効果的とされている活動的なライフスタイルを維持することの重要性を伝えることである。その中で乳がん罹患患者に向けたサバイバーを励ますサポートをすることにも力を入れている。
現在アメリカでは、レジェンドのシャノン・ダンや、ティナ・バシッチを含め、ジェイミー・アンダーソン、ハナ・ビーマン、トラ・ブライトなどのビッグネームのプロライダーたちがB4BCを支えている。
〜乳がんのセルフチェック〜
圧痛や腫れが収まる生理開始から10日後を目安に毎月セルフチェックをしましょう。硬いしこりや皮膚の厚みが増していないか乳房の組織を調べましょう。その他に注目することは腫れやくぼみ、または皮膚に寄るしわ、膨らんだ静脈、陥没した乳首または分泌物。変化や痛みを感じた場合は専門医の予約を取りましょう。