シーズン初めのマンモスマウンテンに2人のライダーが向かった。どちらもまだ十代の柿本優空と、高森日葵だ。ふたりは現地で素晴らしいシーズンインを迎えていたと、彼らの滞在先となった現地ハウスにいる上田ユキエが教えてくれた。果たしてアメリカでどんなシーズンインを迎え、どんなスノーボードライフを送っていたのか?その様子をお伝えする。
Text: Yukie Ueda
11月10日、アメリカ カリフォルニア州マンモスマウンテンのシーズンが始まった。オープニングデーは金曜日だったにも関わらず大勢の人が押し寄せた。過去最高の降雪量を記録した昨シーズンの余韻を引きずっているのだろうか、バブル期のように一つのコースに何百人と滑る様子は多くのメディアに取り上げられた。一部のコースのみがオープンしたシーズン始めでも1日券は日本円で2〜3万円。街には溢れかえる人々。アメリカのスキーリゾートの集客力には毎年驚かされる。
そんなシーズン初めのマンモスに日本から二人のスノーボーダーがやってきた。柿本優空18歳、高森日葵15歳。今注目の次世代ライダー達だ。彼らはオリンピックを目指すアスリートではなく、それぞれ違う形で世界を目指している。目的や活動は違えど、この時期にアメリカでがっつり滑り込みたいという彼らの意思は共通していた。
高森日葵は若干15歳だがジブで日本トップレベルの実力を持ち、世界的にも知名度を上げている注目の存在だ。既に海外でのイベントや大会に招待され、その滑りは多くの人を魅了している。昨年、CAPITAとインターナショナル契約を結んだことも大きなニュースとなった。この重要な時期にアメリカに滞在して経験をさせたいという親の想いと、新しい世界に飛び出してみたいという彼女の野望。父親と一緒に相談に来たひまりの希望に満ちた表情を見て、これは彼女のターニングポイントになるのではないかと感じた。
一方、柿本優空は昨シーズンの春に数名のクルーでマンモスを訪れていた。多くの同世代達が進む『大会』というレールから離脱し新たな道を歩むことを決めたばかりのユウアは、まだ荒削りなイメージだったが何かやってくれそうな個性的な魅力を発していた。
日本で再会したユウアはシーズン初めのマンモスの話を興味深く聞いてきた。後日連絡があり「俺、マンモス行くことに決めました!」と報告してきた。海外経験のある18歳のユウアには「路頭に迷ったら我が家に逃げておいで」と伝えておいたのだが、案の定私たちがアメリカに戻る頃には既に我が家のリビングに住み着いていた。
11月のマンモス。山は全面オープンしていないがこの時期ならではの価値がある。この環境の中で何を得られるかは本人次第だ。未知の可能性を秘める日本の若手達と共にマンモスのスノーボードシーズンが幕を開けた。
置かれた場所で花を咲かす柿本優空
「今シーズンはちょっとやってやろうって思ってたんで」
滞在中のユウアは毎日貪欲だった。何かを得ようと必死に刺激を求めていた。
「去年シフトチェンジして、正直焦ってるところもあります。早く道を作らなって。簡単ではないし悔しい思いもしたんで、今年の俺を見とけよってスイッチ入ってます」
実は今回アメリカに来て誰よりも早くパウダーのフリーライド映像を見せたいと思っていたらしいが、なかなかまとまった積雪にならない日々が続いた。そんな時期ユウアは得意じゃないというゲレンデのジブアイテムを攻略すべく毎晩ムービーでイメトレし、一日中滑りまくっていた。
「人は置かれた場所で花を咲かすことに意味があるって、好きなラッパーが言ってたんで」
想定していた滑りができず焦りもあっただろうが、そんな苛立ちは見せず今ここで何が出来るかを探し求めていた。
ある日、「今日クリフジャンプしてたらユウアも飛びに来たよ、めっちゃ飛んでた!」と、息子のトラが報告してきた。パークを流していたユウアはトラ達マンモスチームが遠くでジャンプしている姿を発見し、合流して飛んできたらしい。ユウアのぶっ飛ぶ映像をマンモスのコーチが記録し、ユウアがSNSに投稿すると今度はローカルのカメラマンBradがユウアに連絡をしてきた。「おまえの滑りを撮りたい」と。
ユウアはその時点でまだここでやれることがあるはずだと2週間の滞在予定を即座に延長した。カメラマンBradはユウアの勢いある滑りとそのスタイルに魅力を感じたと言い、その後も撮影を続けてくれた。
「海外のカメラマン達とやってみていい経験ができた。カメラマンが視界にいない場所からドロップするには言葉が伝わらないと困るし、言いたいことを英語で伝えられるようになって自信になった。海外で撮影をするっていう一歩をいい環境で経験できたことが一番大きかった」
ユウアはチャンスをモノにしようとする意力はもちろん、自らチャンスを掴みにいく男だ。
「ピンで動くといい面しかない。自分の好きなことのためにやっているから大変だとは感じない」
自分ひとりで行動することに躊躇なく、外へ出たら何か少しでもキッカケを掴んで帰ってこようとする。英語はまだ堪能とは言えないが、外人とコミュニケーションを取ることに怖じず積極的に繋がっていく。
子供の頃から人一倍突っ込んで高く飛ぶことを得意としてきたユウアは怪我の経験から体のケアも怠らなかった。
「マジでカラダが全然違います!日本から来た時と見た目も動きも違う。マンモス最終日になるにかけてどんどん動けるようになってきて、こんだけ動ければ日本でもっと動ける。いいスタートダッシュになりました」
与えらえる環境を待っているだけでは今回の結果は生まれなかったはずだ。ユウアはこれからも自身が興味を持つ扉の鍵を見つけ、開いて行くだろう。
不器用でマイペースな少女はレールの前で人格が変わる
そのギャップに驚かされる、15歳のひまり。見た目も喋り方もほんわかした印象の女の子。この子がいかつい鉄のアイテムを攻めまくるとは一見想像が出来ない。
ひまりの海外での知名度は想像以上だ。マンモスの街に到着して早々スーパーマーケットで「君HIMARIだよね?」と声をかけられ、ゲレンデでヒマリが一緒に写真を撮りたいと声をかけるアメリカのプロライダー達は「僕らは君の大ファンだよ」と逆に写真や映像を撮ってくる。
本人は自覚しているのかしていないのか、ニコニコと嬉しそうにプロ達からの賞賛やメッセージに喜んでいる。
料理も慣れない私生活では、玉ねぎを切るのに30分くらいかけて「疲れた・・・」とグッタリしていた。あんなにハードに滑ることよりも玉ねぎをみじん切りする方が大変らしい。
だがひとたびレールの前に立つとストイックに変貌し、やられてもめげない。ひどい転び方をしたヒマリに大丈夫?と声をかけると「ちょっと、痛かった〜」とのんびりした口調で返してくるのだからこちらの調子が狂う。家に帰るとウエアも脱がず充電が切れたようにリビングの床に転がっている姿を何度も目にした。この子は本気でスノーボードが好きで、全力で滑っているのだろう。
そんなヒマリも1ヶ月経つ頃にはキッチンに立つ姿が様になり、自分で考えて冷蔵庫の材料でいろんなものを作っていた。煩いだろうが洗い物や片付けもちゃんと出来るように口出しすると、言われたことをきちんと聞いて取り入れていった。その姿勢は、スノーボードと同じなのだろう。ヒマリは自分のペースで、確実に成長していった。
「日本だったら絶対にやれなかったことができて、自信がつきました」
1ヶ月の滞在を終えてLAに向かう車の中でヒマリはそう振り返った。
「日本だったらちゃんとスタイルが出せてなくてもみんな褒めてくれて。技をメイクしたらそれで周りは認めてくれてるから、自分が納得いくまでやりたくてもそれ以上なかなか出来なくて」
だがそんな甘さが通用しないアメリカは、ヒマリにとって最適な環境だったという。
「ツヨシさんは ”今のは板が最後まで横になってないからもう一度やろう” って、ちゃんと見てくれてて。だから自分の納得いくまで頑張れた」
映像撮影をしている夫ツヨシ(yoshiburger)の厳しさは、ヒマリの実力をわかっているからこその助言なのだ。
「マンモスは上手い人たちが沢山いるし、トラくんたちチームの子達もガンガン攻めてるから私もやれるって思えた。最初は入れないって思ったアイテムもツヨシさんが見ててくれるから挑戦できた。撮影してもらってるからここでプッシュしないとって、ひとりだったらやらないで逃げてたはずのアイテムもできました」
本人は謙虚に言うが、周りの人たちは彼女がどうしてあんなに勇敢に攻めることができるのかと不思議がっていた。
「彼女今日すごくプッシュして頑張っていたよ」と言うセリフを滞在中に何度も耳にした。小さくて可愛らしい女の子だからというイメージはむしろ邪魔になるくらいヒマリ自身が目指すクオリティは高い位置にあるのだ。
「ちゃんと厳しく言ってくれる人がいてよかったです」
慣れない海外生活に苦労しながらも、出来ないとは言わずやったことのないことにひとつずつ挑戦していたヒマリ。
「ああ、もう1ヶ月終わっちゃう。あと1ヶ月あったらいいのに。いやもうずっとアメリカにいれたらいいのに…」
15歳の少女、ホームシックな様子は微塵も見せずこの地に大きな爪痕を残して帰っていった。
シーズン始めのスタートダッシュの意味
マンモスマウンテンにはオープンと共にパークが出現する。雪が降っていなくともコースは広がりパークアイテムは次々と増えていきコースに小石が転がっていようが雪をかき集めてキッカーが出来上がる。ゲレンデにはクリフやツリーが豊富にあり、少しでも雪が降ればそこら中飛べるし当て込み放題だ。ただ雪のある斜面を滑るだけでなくこうしてオールラウンドに滑り込むことができるのがマンモスの大きな魅力である。街の標高は2,400m、滞在しているだけで高所トレーニングにもなる。シーズン始めに体を作り上げるには最適な場所なのだ。
日本に帰るとヒマリは北海道でストリート撮影に入るという。シーズン始めからいきなりストリートを攻めるには心構えが必要で不安も募るが、ここでやった技とメンタルがきっと活かせるとワクワクした表情で帰って行った。
ユウアは思いがけずジブやキッカーも滑り込んだことで自身のフリーライドの幅が広がったと自信に溢れた表情を見せながらひと足さきにLAへと旅立った。帰り際は夏のマウントフッドで出会ったカメラマンと合流し、アメリカにおいでと声をかけてくれていたDAKINEのオフィスに立ち寄っていた。そして見事ユウアらしくチャンスをがっしりと掴んで帰って行った。
それぞれが日本で迎えたばかりのシーズンへのスタートダッシュになったようだ。
新たな環境に身を投じることで、自分を変化させることができる。
結果や成果が共わないと海外まで行く意味がないと言われる近年、この若いふたりの次世代ライダー達がそれを証明してくれたようで嬉しくなった。