ワールドカップやオリンピックで表彰台に立つ日本人選手
世界のステージで日本人がその存在感と爪痕を残すようになったのはいつからだろう。近年日本の若きアスリートたちが世界大会で表彰台の真ん中に立つことは珍しくなくなった。
1990年代、私が選手として日本代表チームにいた頃は、日本人選手が世界のトップに立つことはとても難しかった。それほど日本人と欧米人とでは実力の差があり、世界のトップ選手が出場する大会で決勝に残れたら快挙、というのが当時の感覚だった。
FIS(国際スキー連盟)の定めるルール上、フリースタイルスノーボードにおいてはそのシーズンの12月末までに13歳の誕生日を迎えていなければ競技者登録ができない。さらに、W杯やオリンピックは15歳に達していないと出場が不可能だ。必然的に世界的にフューチャーされるのは早くて13歳以降になってくる。
今回私はその手前の世代である8歳から13歳までのスノーボーダーに焦点を当ててみた。SNSを通じて世界に情報を発信することが容易にできるようになった現代だが、この世代のスノーボーダーは前述したように、まだ正式な舞台に上がることがないため、どこかアンダーグラウンドでローカルヒーロー的な存在感がある。これからどう開花し、どんなスノーボーダーになっていくのかという可能性に満ち溢れているから面白い。
日米のスノーボード環境の特徴を見ながら、その世代のスノーボーダーたちを取り巻く環境の違いや共通点、そして双方が学ぶべき面を探ってみようと思う。
Photo&Text: Yukie Ueda
日本流の練習方法は上達にどうつながるか
北米のスノーボードオフシーズンの間、私たち家族は日本に滞在していた。目的は11歳になった息子の小学校とオフトレーニングだ。
世界にコロナウィルスが蔓延し始め、さっさとリゾートも学校もロックダウンしたアメリカから、中途半端な日本語を話す9歳の息子と40代半ばにして初めて日本で暮らすことになった夫を連れて日本へやってきたのは2年前。その1年間の移住生活で得たものは数えきれないが、その中で最も大きな価値を感じたのが学校教育とスノーボードのオフトレーニングだった。
これまでLAとマンモスマウンテン(カリフォルニア州)で日本人の若いスケーターやスノーボーダーを受け入れてきた私たちは、周囲のアメリカ人たちから『なぜこんなに日本人は基本的なレベルが高いんだ』とよく問いかけられた。実際に日本の環境を覗いてみると『なるほど』と納得するものがあった。小さな島国だからこその通いやすい環境と、加えてコツコツと反復練習し努力を怠らない日本人らしい精神が大きな成果をもたらしていたのだ。もちろん親御さんの努力もなくてはならない要素だと思う。
最初は『日本人は練習ばかりでつまらない。アメリカではもっとFUN(楽しむ)なんだ』と訴えていた息子。郷に入れば郷に従え、とばかり『今は日本にいるんだから、日本のやり方でやってみたら?』と投げかけてみた。渋々周りの日本人の子たちを真似て練習し始めた息子は目に見えて上達していった。楽しんでいるだけでは得られないものがあるということを本人が一番感じていたようだった。
コロナウィルスが世界中に広がらなければ、私たちの日本移住は実現しなかっただろう。今の生活に満足していて思いつきもしなかったのだから。しかし日本移住を終えた私たちが家族一致で見つけた答えが『日本とアメリカのハイブリッド生活』だった。こうなったらとことん日本流を身につけてみようじゃないか、と。
今回の日本滞在の目的のひとつだったオフトレーニングには、エアバッグジャンプ施設「小布施クエスト」と室内ハーフパイプ施設「カムイ御坂」を利用することに。どちらも日本人のコーチをつけて集中したトレーニングをおこなうことにした。4ヶ月間の滞在中、白馬の小学校に通いながら車で片道1時間ちょっとかけて小布施クエストへ通い、夏休みに甲府の義両親の家に滞在しながら御坂のハーフパイプへ通うことになった。
室内ハーフパイプ施設 カムイ御坂
数年前に初めて息子を連れて御坂へ来たとき、ほとんどの子供たちがコーチをつけて練習しているのを見て驚いた。私が通っていた時代はコーチをつけて滑る人はいなかったし、そもそもハーフパイプを滑走する人のほとんどが大人だったのだから。
ケッケさんことKKアカデミーの酒井コーチに依頼し、週4日のコーチングを受けることになった。きっかけは、マンモスのスノーボードチームで一緒のGaon Choi(韓国籍の13歳の女の子。現在世界のトップに位置する第2のクロエキム的存在)が、以前日本でケッケさんにコーチングを受けたことがマンモスで話題になったこと。彼にコーチングをお願いしたいというアメリカ人の親御さんたちの相談に乗っているうちに、その対応に好感を持った私も我が子をお願いしてみることにしたのだ。
夏のカムイ御坂は子供たちでいっぱいだった。その多くがまさに8~13歳の次世代たち。日本の子供たちはアメリカの子供たちよりもひとつの競技に絞り込むタイミングが早い。特に今回フォーカスするこの世代において大きな違いを感じている。アメリカではオールラウンドにスノーボード技術を学ばせ、13歳に近づいてから競技を絞るという流れだが、日本ではもっと早い時点で競技を決めて、その練習をさせている。将来的にそのどちらが正しいのか、近道なのか。そこを探るのも本企画の興味深いところ。
逞しい母親たちが運転するハイエースバンがずらりと駐車場に並ぶ。全国各地から子供たちを連れて山梨県へスノーボードの練習に来ているのだ。その多くが車中泊や車中料理をしながら子供のために滞在しているのだから、日本の親たちの努力と熱心さにもまた驚かされる。朝は歯ブラシを片手に歩く姿があり、休憩時間は各車からご飯のいい匂いが漂ってくる。車に上手く設置された物干し場には洗濯がはためいている。夏だから衣類もよく乾くのだろう。
練習時間が終わると駐車場でボール遊びをしたり、元気に走り回る子供たちの姿があった。夏休みに旅行や遊びではなくスノーボードの練習三昧というとストイックなイメージだが、時間を持て余してゲームばかりしているよりも、親子でオフトレに励むこんなスタイルはなかなか充実しているなと思う。
子供たちの憧れの存在である平野海祝や片山来夢、現在ナショナルチームで活躍する選手たち、ムービーの世界で活躍する宮澤 悠太郎や今井郁海なども滑りに来ていた。海外からもベン・フェルガソンとダニー・デイビスがこの室内ハーフパイプで撮影をするために日本にやって来ていた。ハーフパイプという形状でスタイルあるトリックを繰り出す大人のスノーボーダーたちは、大会の練習に明け暮れる子供たちに新たな刺激を与えてくれた。
私はSNSに日本の情報を投稿しているが、海外からはカムイ御坂への反応が一番大きいと感じる。今、この日本の室内ハーフパイプは世界から注目されているのだ。
W杯基準のハーフパイプよりも壁の高さは小さい。しかし、室内の安定した状態のなか整えられているハーフパイプは、繰り返し同じ条件で練習することが可能なのだ。
『つまらないかもしれないけど』と言いつつもケッケコーチは基礎から学ばせた。ハーフパイプに対してこれほど基礎を大事にするのは日本人らしいと思う。中身はアメリカンな息子がこの地道な日本流練習方法に対応できるか少々不安だったが、郷に従った息子は黙々と教えに従った。その結果、これまでやっていた360もCAB360も、高さと安定性を兼ね備え変化していった。
そして1ヶ月という短期間のなかで540,720の回し方を習得。それはシーズン中にマンモスのハーフパイプでノリでメイクしたものとは質が違った。怪我のリスクを減らし、次の技へ繋がる回し方を伝授してもらったのだと思えた。
「来年の夏も絶対にまた御坂に来たい!」夏休みを終える頃、息子はここを離れたくないとも言った。理由を聞くと、本物の雪で遊べる御坂は面白いからだそうだ。ブラシの上を滑り1発飛ぶだけのエアバッグジャンプより、本物の雪の壁に当て込めるハーフパイプの方がスノーボードをしている感じがするのだという。息子は練習が終わると上から下まで壁にスラッシュして当て込み、ハンドプラントを決めていた。きっと来年の夏もここに戻ってくるだろう。同じ世代の仲間たちとの再会を楽しみに。
カムイ御坂室内ハーフパイプ http://misaka.kamuisp.com/summer/
エアバッグジャンプ施設 小布施クエスト
今やエアバッグジャンプ施設は全国各地に存在している。それは、週末だけでなく平日の学校後にも通える環境があちこちにあるということだ。前回の日本滞在時に拠点にしていた福島県からは宮城県の東北クエストまで片道2時間近くかけて週4~5日通っていた。往復4時間とは驚くかもしれないが慣れてしまえばなんてことない。当の本人は行き帰りに車内で睡眠をとったり宿題をしていた。今回は同じ長野県内で片道1時間ちょっとの道のりだ。オフトレ施設に通う親御さん同士の会話からするとこれは「近い」という範囲になるらしい。
北京オリンピックで金メダルを獲得した中国のシャオミン(Su Yiming)を指導したことで一躍世界的にも有名になった佐藤康弘(ヤス)の主催するクエストアカデミー。今回小布施クエストでは、その指導法を伝授された田沢 豊(ゴリ)のもと練習を重ねることになった。
ヤスくんもゴリも旧知のスノーボード仲間。一緒に海外撮影をしていた頃のゴリは当時若手ライダーで、何も考えずに勢いよく飛びまくっているような姿が記憶にあるが、現在の彼のコーチングは評判が良い。ゴリの笑いと優しさ溢れる指導のもと、息子は基礎力をぐんぐんアップさせた。回し方、グラブの長さ、安定性、どれを見ても変化は一目瞭然だった。週2日受けるつもりだったコーチングは、後半週4日に増えていた。息子が自らそれを要望したからだ。コーチングを受けた後は復習のために自主練習を入れ、それが終わると『自分でやれることはやったから、次はコーチングを受けたい。自分でやるだけでは時間がもったいない』と。日本にいられる時間が限られていることをわかっているからそう思ったのだろう。
クエストで技を磨けば磨くほど、息子はアメリカに戻って雪山で滑るのが楽しみで楽しみで仕方がなくなっていったようだ。
夜10時頃まで営業している施設が多いので、放課後にナイター照明の中でじっくり練習することができる。私たちの夕ご飯は通っている多くの子供たちと同じく、家で作ってくる「お弁当」だ。セッション合間の休憩時間に、施設に備え付けられている電子レンジや湯沸しポットを使って各自持参した食べ物を温めたりして食べるのだ。みんなで食べるのでこれが結構楽しい。平日学校帰りの息子はランドセルを持ち込み、宿題はクエストで終わらせるようになった。ここでやらなければやる時間がないのだ。上級生もいるのでわからないところを聞くこともできる。下級生もいれば上級生もいるが皆同じ志を持つスノーボーダー同士。ここは学校以外の学びの場でもあった。
通常『エアバッグでできた回転技の、半回転から1回転少ないものが雪山で回せる』と言われている。要は雪山の方が難しく感じることが多いのだが、息子は少し違ったらしい。昨年東北クエストに通った息子は雪山でレギュラーの360が回せるくらいのレベルだったが、エアバッグではBS720まで回せるようになった。そして、アメリカへ帰ると彼は全方向の720を雪上でメイクしたのだ。『エアバッグでできたことは必ず雪山でできるし、それ以上のこともできる。雪の方が簡単だから』と息子は断言していた。雪に慣れているか、ブラシに慣れているかの違いもあるのだと思うが、息子の場合は前者。どちらが簡単と感じるかは恐らく、今後お伝えする日本とアメリカの子供たちのスノーボード環境の違いから来るものだろう。
日本の同世代の子供たちと切磋琢磨しながら、息子は楽しんで成長していった。
小布施クエスト https://www.obusequest.com
日本流オフトレーニングの成果
アメリカのオフシーズンに日本でスノーボードを履いて技の練習に磨きをかけた息子は昨年、「これでマンモスに戻ったらみんなビックリするぞ、あいつら(仲間たち)を倒してやる!」と意気込んでいた。しかし、私たちが日本で過ごした冬にマンモスの雪山を滑り込んでいた『あいつら』は、体ががっしりと大きくなり、滑りは確実にステップアップしていた。それは山を滑り込んで上達したフリーランだけではなく、息子が日本で地道に練習していたジャンプの回転技においても同じだっだ。
「なんであいつらエアバッグやってないのに、あんな上手くなってるんだ?」センスなのか、運動能力の違いなのか。まさにこれが私が感じてきた世界との差なのだ。そして彼らもまた、日本帰りの息子にショックを受けていた。「おい、TORAが日本で上手くなって帰ってきたぞ」と。
息子は仲間たちの予想外の成長に驚きつつも、必死でついていった。息子が日本でオフトレーニングを積んでいなかったら、彼らにグンと引き離されていた可能性が大きい。日本でのオフトレ成果は息子のレベルを彼らに食いついていけるところまで引き上げてくれたのだと言える。
コロナが収まり日本人がまたアメリカへやってくるようになる日も近い。そして日本にも、オフトレ施設で練習するために海外のアスリートたちが訪れるだろう。円安の今、施設使用料もコーチング費用も外国人たちにとっては激安だ。彼らがどこまで日本人コーチの説明を理解できるかは不明だが、翻訳アプリを使いながら、彼らがどこまで日本から学び取っていくのか、興味深い。
11月。私たちはアメリカに戻り、マンモスマウンテンのシーズンが始まった。例年のごとくマンモスのスノーボードチームに所属し、シーズン120日近くのトレーニングが予定されている。またアメリカのやり方にどっぷり浸る彼に日本のコーチングがどう活かされるか、楽しみだ。
『We Are The Future.』~日本とアメリカをつなぐ子供たち〜 連載企画
第2章 From Mammoth. マンモススノーボードチームの実態 へ続く。
第3章 From Japan. 日本の雪山、ニセコ
第4章 From Japan. 日本のパーク環境、白馬47
第5章 From Mammoth. 世界トップレベルのパーク、マンモスマウンテン