東西2,400kmに渡り壮大な山々が連なるヒマラヤ山脈。世界中のクライマーを魅了する群山はスノーボーダーにとっても魅力的な場所だった。山脈に降り注ぐ良質な雪と未開の斜面を求めて6年前にスタートした、フォトグラファー 魚住 司と3人のスノーボーダーたちのヒマラヤトリップ。今回、3回目にしてようやく満足に滑ることができたのだが…。今旅の様子を前後編に分けてお届けする。前編はフォトグラファーによる旅の概要、後編は参加したライダーのひとり、ハッシーこと橋本貴興が日々の出来事を綴った手記で、この旅のリアルなエピソードをお伝えしたいと思う。
Text & Photo: Tsukasa Uozumi
4,000m超のベースキャンプで9日間の撮影に挑む
通い慣れたネパールでスノーボードがしたい。
親しみ慣れたネパリと一緒に山に入りたい。
滑り慣れた仲間と旅がしたい。
始まりの動機はこんなもんだ。
出発の前、みんなと共有したのは「エキスペディションではなくスノーボード」。
標高やピークハントにこだわらず、いい時間にいい雪を滑る。クライミングではなくスノーボーディングにこだわるということ。
クライマーとスノーボーダーの斜面を見る感覚を境界線と銘打って、旅のテーマは「HIMALAYAN SNOWBOARDING REGION」(ヒマラヤ山脈における登山とスノーボーディングの境界線)と決めた。つまり、自分たちはクライマーではなく、滑るためにヒマラヤへ向かったということだ。
6年前から始まり今回で3度目となるネパールの旅。我々の求める上質な雪は唯一、3月頭にさしかかる時期にインド洋からヒマラヤ山脈を超えてやってくるモンスーン(季節風低気圧)が落としてくれる。
だからベストなタイミングは毎年3月頭と限られ、我々の行動はモンスーンの大きさによって左右される。
1回目の旅はタイミングはバッチリ。だが規模が災害級。到着から3日間ひたすら雪かきをし続けて雪崩発生、ロッジ半壊。結局、晴れ間に上がってきたレスキューヘリでの強制下山となった。
2回目の旅は少し早めに到着、低気圧が近づくにつれて降雪。だが、また爆弾低気圧が育ち、下山できるうちに戻らないと様々なリスクが予想された。最後までミーティングを重ねたが、僕たちは下山するという決断を下した。
そして今回の3回目、なぜまた向かうのか。
それは見れただけで滑れていない斜面が無数に残っているからだ。
頭の中では妄想ばかり膨れ上がり、マチャプチャレバック、アンナプルナバックでのヒマラヤンスノーボードが形に残っていないからだ。
メンバーは最初の声がけから変わらず、ハッシー(橋本貴興)、中西 圭、江 昌秋と僕の4人。
結論から言うと3回目となった今回、僕たちは初めてフルでABC(アンナプルナ・ベースキャンプ)に滞在して、毎日滑ることができた。
ABCベースで可能な限り山と向き合う。毎日のように夕方から雪が降り、明け方からは雲が抜けて太陽が顔を出すというルーティーン。
ABCからMBC(マチャプチャレ・ベースキャンプ)にかけて続く北斜面を端から滑る。言葉では簡単だが、とてつもなくでかい。
ABCに滞在できるのはMax10 Days(入山許可の種類、トレッキングパーミッションが必要)。この縛りの中で滑れる斜面、辿り着ける斜面を、標高や体力、体調を元に前日ミーティングを繰り返して行動する。
「これがしたかった!」
少なくとも僕はそう思った。
だが、ヒマラヤ(高所)でのスノーボードでは気をつけなければいけないことがある。
「高所障害」
僕たちが行動するエリアは4,000~6,000mのエリア。
当たり前だが日本には存在しない標高で、酸素濃度が薄いなかで行動することになる。
当然「いつものように」ハイク&ライドを繰り返すと体内酸素(spo2)が減っていき、眠れない、息苦しい、食欲低下などといった障害が表れる。その先は安静時の呼吸困難、咳、歩行困難などといった、より深刻な症状になっていく。普段体力に自信のある人でも標高によっては全く動けなくなることもザラだ。
今回の旅の全物語は僕自身のPhoto Bookで来年の1月に発表する予定だ。
一足先に、ここではその旅の1つのエピソードである「高所障害」で思うように動けなくなったハッシーの体験を伝えたいと思う。