ふたりの中学生スノーボーダーが、マンモスマウンテンにやってきた。中学1年生の永井瑛人12歳と、中学2年生の山田琉聖13歳だ。なぜ彼らはこの若さでアメリカへ滑りに来たのだろう、本人の意気込みはどれほどのものだったのだろう。小学校を卒業したばかりの彼らが親元を離れて異国で過ごした2週間。日本を離れて知る世界の広さ、親元を離れて知るありがたみ。海を越えたカリフォルニアマンモスマウンテンで、中学生スノーボーダーたちが過ごしたスノーボードライフの様子をお届けします。
Text: Yukie Ueda
『到着』
目に見えない不安と期待を抱えてた二人が、緊張と高揚が入り混ざったような表情でロサンゼルス空港へ降り立った。見た目も喋り方もまだあどけない少年達だ。
「よろしくお願いします!」私を見つけた瞬間、ここへ到着するまでの機内や入国審査での緊張感が解けたような笑顔になった。
LAからマンモスまでの長距離ドライブの途中、時差ボケで眠い時間だろうに興奮した目で窓からの景色を眺めていた。真っ直ぐ目の前に伸びる一本道。右も左も壮大な山に囲まれ、遠くまで見渡せる景色。
瑛人「わあ、広い。すごい景色だな。」
私「北海道ならこんな風に広い景色があるんじゃない?」
琉聖「いや、こんな景色はないです!本当に、広い。。」
これから目にする海外のスノーボードの世界にも、きっと彼らが日本で見てきたよりも遥かに広く多様な選択肢がある。想像もしなかったような世界は彼らの何かを変えていくのかもしれない。そんな事を考えながら私は運転していた。
『少年たちの目的』
彼らにはそれぞれ、目的と意思が備わっていた。ただの海外旅行ではない。語学留学とも違う。目的はスノーボードである。
瑛人は地元群馬の老舗スノーボードショップトリックスターに通いながらスノーボードとスケートに夢中になる12歳。先月小学校を卒業したばかりだ。90年代から活躍するショップのカリスマライダーの杉田くん(杉田隆明)に憧れ、最近まで腰まで伸びる長髪にしていたという。彼の携帯の中には杉田くんのライディング動画がしっかり保存してあったし、常にスノーボードのムービーや雑誌を眺めているという現代っ子にしてはかなりのスノーボードマニアである。自分が好きなスタイルを大切にし、興味があることには積極的にチャレンジしていくという自由な雰囲気を持つ男の子だ。
琉聖は本格的にハーフパイプ競技に打ち込みオリンピックを目指すアスリート。国内では既に親元を離れ自炊をしながらハーフパイプの練習に打ち込むこともあるそうで、見た目の幼さとはギャップを感じるほど目的意識を高く持っていた。技をメイクするために頭の中で動きを分析し、イメージしながら練習する。その為に必要なトレーニング方法も学びながら定めた目標に突き進むというストイックな男の子だ。
一見両極端にも思えるふたりの男の子は、気の合ういいコンビとなっていた。それは初めて親元を離れた海外生活を経験する同志だったこともプラスしていたのかもしれない。ふたりに共通していたのは、スノーボードをする為にここへ来ていたということ。親御さんの協力はもちろんのこと自分の意思でやってきたのだ。彼らは一緒に過ごす中で、相手に無理して合わせるではなく自分のペースを保って過ごしていた。ワックスがけ、勉強や手伝い、どちらからともなく気づけば一緒にやっている。甘え合うことなく、お互いがいい影響を与えあっていたように思う。
海外に出て大切なことのひとつは、周りに流されず自分のペースを持つことだ。それは日本の社会でも国内遠征でも同じだが、特に海外ではそれが大きなポイントになるような気がしている。
時間とお金をかけた限られた期間の滞在は、その資金を自分で稼ごうが親やスポンサーからの援助だろうが、価値も重さも同じだ。まだ中学生のふたりが、その価値を感じながらスノーボード中心の生活を送っていたことはとても微笑ましかった。
『スノーボーダー同士』
滞在していた期間、起こさなくても朝早く起きて朝食を済ませ、プロテクターとウエアを着込んで出発を待つふたりの姿があった。丸一日スノーボードに明け暮れ、帰って来ると順番にボードにワックスをかけて明日に備える。合間にスケートパークへ行ったり宿題もしていたが、本当にスノーボード三昧だった。
私たち家族は彼らのホームステイ先でもあり、スノーボーダー仲間でもあった。一緒にスノーボードムービーを見たり、ギアの話をしたり、イケてるライダーは誰かを話し合ったりもした。
私が基本的なルールを教え、夫ツヨシがローカルライダーを交えながら彼らを連れまわす。我が息子が合流することもあれば、我が家で一緒に生活していたオリンピアン大江 光とセッションすることもあった。彼らは次第にマンモスでのスノーボードに馴染んでいった。
今回彼らの渡米のきっかけでもある先輩ライダー岡本 航もマンモスで滑っていた。だがここにいる航の姿は彼らの知っているハーフパイプライダーの航先輩とは違っていたはずだ。
後輩たちの渡米を気にかけてくれた航は、何度かふたりを連れて滑ってくれた。それはハーフパイプだけではなく、春のゲレンデに出現した深く掘れたバンクドのコースだったり、地形を使ったジャンプだったり。
後輩たちの羨望の眼差しの中、航は日本のゲレンデでは目にすることのないような巨大なサイズのキッカーを悠に飛んでゆき、ハーフパイプでは劣らぬ技を見せつけた。その姿は、航がここで滑ってきた意味を後輩に伝えるひとつの方法だったのかもしれない。
「僕らの知っている先輩は、海外で見たら違っていた。もっともっとカッコよかった。」
ひとつの競技に打ち込むことも素晴らしい。ただその世界だけを見ているのか、広い世界を知った上でそこに焦点を当てるのかは大きく違う。
年齢も国籍も滑ってきた環境も違うスノーボーダー同士がこうして交わることにより、刺激と調和が生まれる。異国にいる日本人同士のその想いはより強い気がするのだった。
『アメリカ生活』
山でアメリカ人の友達を作るまではなかなか行かずとも、ふたりとも英語に興味を持ちバイリンガルの息子に「英語で教えてよ!」と、その発音を繰り返したりしていた。
英語はそれなりに勉強しているふたりだったが、実際にアメリカ人の会話を聞けば日本の教室で習ってきたそれとはワケが違う。聞き取れない、通じない。そんな経験に打ちのめされることすら新鮮に捉え、彼らはこの環境に順応しようとしていた。
たった2週間の滞在だが、彼らは自分たちが育った場所とは明らかに違う国で生きている人や言葉を肌で感じ取り、何かを感じていただろう。
思えば8歳の我が子とたった4〜5歳しか変わらないこの男の子たち。親元を離れ海の向こうの雪山へ荷物を抱えてやってきただなんて物凄いことだ。彼らは私に頼りすぎることなく、自分のことはなるべく自分でやっていた。実際いつも家では親がやってくれている事がほとんどだと思う。外の世界を知ることで、今いる場所をもっと知ることにもなる。日本の素晴らしさも、家族のありがたみも。
『帰国』
日本で待つ親御さんからメッセージが届いた。
「もっといろんなスノーボードに挑戦したい。もっといろんな滑りができるスノーボーダーになりたい!」琉聖はそうお母さんへ伝えていたそうだ。
瑛人は日本へ着いた時から「またマンモスへ行きたい!」とお小遣いを貯め始めたらしい。
そしてふたりとも、これまであたりまえに側に居てくれた親へ感謝していた。
アメリカを飛び立つ直前のLA空港で、航と同様にハーフパイプの先輩ライダーだった今井郁海と再会した。郁海はムービー撮影のためマンモスに来たのだった。その姿もまた彼らの目に刺激的に映っていただろう。
少年達は新たな世界を見て、これから更に彼ら自身のスノーボードが楽しくなるだろう。
日本の若いライダー達の姿を見る機会が多くなった今、重要だと思うポイントがある。
ひとつは、どんなに幼くても、やらされているのではなく「自分で選んでやっている」という意思を持っているかどうかだ。
加えて、日本のスノーボードシーンはカテゴリー分けがされすぎているのかもしれないと感じる。それは目先のひとつの種目に特化するために近道のようでもあり、本当のトップに行くためには遠回りになっているのかもしれない。特に小さな頃はいろんなことをやってみたらいいと思う。アメリカではスロープスタイルの選手がハーフパイプも上手だったり、パウダー好きもストリートも楽しんでいたりする。もっと自由でいいのだ。その上で、目指すものに焦点を当てればもっと自分の居場所が好きになるかもしれない。
物事はいろんな角度から見れば答えはひとつではない。視野を広げた物事の見方をする為には、自分自身の視野を広げる必要がある。
これまで見たことのなかった見渡す限りの広い景色も、様々なスノーボードのスタイルを知ることも、彼らの視野を広げより多くの選択肢を与えただろう。
山田琉聖と永井瑛人。数年後更にかっこいいライダーに育った姿を見るのが楽しみだ。
山田琉聖(やまだ りゅうせい)
2006年3月25日生まれ、北海道出身。スノーボード歴8年。
スポンサー/Cruise Sapporo、Salmon snowboards、桑園オリーブ皮膚科クリニック、UGOKL整骨院、トムカンパニー
リザルト/第90回宮様国際記念HP 中学生クラス優勝、JOCジュニアオリンピックHP 中・高校生クラス10位入賞、FISジャパンカップHP 中学生クラス優勝。
「初めて北海道からロサンゼルスまでひとりで行き、出会った事の無いユキエさんファミリーに家族の様に迎えてもらい、見た事無いものや大きな世界を見てあっという間に終わってしまいました。自分が成長したと思う事もあったし、もっとこうすれば良かったと思う事もありました。
マンモスはパークやパイプは世界レベルなものばかりで圧倒されました。パイプの練習をしに行ったのですが、それ以外の事も沢山出来てもっと色々なスノーボードに触れてみたいと思いました!また、沢山のヤバいライダーを生で見て、すごい刺激を受けました!!この遠征で沢山のライダーと関わり、沢山の事を教わり、そして環境の違い文化の違い色々な経験ができました‼︎」
永井瑛人(ながい えいと)
2006年8月2日生まれ、群馬県高崎市出身。スノーボード歴7年。
スポンサー/SALOMONチームジュニア、トリックスター
リザルト/第37回JSBAスノーボード選手権 関東大会 ユースの部優勝、同 全国大会 ユースの部2位、TENJIN banked slalom2019 小学生の部2位。
「ゲレンデが広くてリフト待ちがなく、キッカーや見た事無いアイテムがたくさんありました。キッカーやアイテムから、パイプに入いっていく流れが良くて1本1本が楽しかったです。また日本人の有名ライダーも沢山いたり、ローカルのライダーもアイテムをかなり攻めるので、入り方とか凄く刺激になりました。初ストーリートは緊張しましたが、ヨシさんが安全を確保してくれたので挑戦できて楽しかったです。スケートパークもすごく広く楽しかったです」
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★この記事のライター
上田ユキエ
1973年1月22日生まれ。東京出身。カナダウィスラーでスノーボードを始め26年、ハーフパイプやビッグエアーなどの競技を経て、ガーズルムービープロダクション “LIL” を立ち上げ日本のガールズシーンを牽引。結婚を機にアメリカへ移住し8歳の息子(トラノスケ)を育てながらプロ活動を続け、現在はバックカントリーの魅力にはまり国内外の様々なフィールドを開拓中。2017年4月マンモスマウンテンに拠点を移し、よりナチュラルに山の近くで家族と新たな生活をスタートさせている。
Sponsor: K2 SNOWBOARDING, Billabong, UNfudge, Ronin Eyewear, NEFF, HAYASHI WAX, MORISPO SPAZIO
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