平昌オリンピックでハーフパイプ7位という快挙を遂げた片山来夢。彼は先月5月にアメリカ・マンモスマウンテンで行われていたUSチームのキャンプに日本人ひとりで参加した。22歳でオリンピック初出場を果たした彼の「強み」とは一体どんな部分なのだろうか?
この記事では、現地で片山来夢と生活を共にした上田ユキエが、素の片山来夢を解き明かす。
Text: Yukie Ueda
彼からは捉われない自由な雰囲気を感じる
平昌オリンピックでハーフパイプ7位という快挙。一躍有名人である。しかし彼は自由だ。
スケートボードもサーフィンも、本人曰く「下手だけど」、やる。楽しいんだそうだ。マンモスに到着するなりスケートパークへ。「もっとスケートうまくなりたいんだ!」と言いながら楽しそうに滑る。サーフィンは2年前に始めたばかりだそうだが、今回のマンモス滞在の後はビーチエリアに移動してサーフィンする気で満々だ。
来夢はオリンピック前となった昨シーズン、外人のプライベートコーチをつけていたそうだ。技術面だけでなく、プライベートなことを考えると英語も上達するし息抜きの時間もありリラックスできるのだという。
オーストラリア人のコーチとアメリカ人のライダーと共に海外遠征へ。日本人がひとりだけという環境も自分で選んで経験していた。
日本人スノーボーダーがプライベートでコーチをつけるという動きはまだ珍しい。その価値の大きさを以前、日本人として海外の大会で偉業を残した國母和宏から聞いたことがあった。その環境がこれからの日本人選手にも大事だと、カズは自分についていたコーチを平野歩夢へと橋渡ししていた。だから来夢が自分で探して外国人コーチをつけていたという事実に驚いた。「どうやって探したの?」「海外で大会に出たり滑ったりしていたら友達が出来て、その繋がりで知り合いました」。
日本人でプライベートコーチをつけていたのは平野歩夢と片山来夢だけだ。その効果は結果につながっていたとも思える。
「日本のコーチも、大輔くん(村上大輔)やりょうくん(青野りょう)がいるので技術的なことも凄くいい環境で教えてもらっています。決して日本の環境がダメだというわけじゃないんです」。
日本には日本独自の練習方法や良さがある。けれどそれが全てではない。自分にとって糧になる方法は自ら選んで掴み取っていく。八重歯を見せながらおっとり話す来夢から、そんな印象を受けた。周囲を否定せず、自分の苦手なこともオープンにして躊躇せず挑戦している。
「外人に対して今は何の戸惑いもないです。英語は難しいけど、まあどうにか(笑)」。今回のマンモスでも通訳なしでたったひとりUSチームのキャンプに入っていた。そんな来夢を、アメリカのコーチや友達が毎日送り迎えしたりアクティビティへ連れて行ったりしてくれていた。「温泉連れてってくれるらしいです!」「今夜はボーリング行ってきます」。これも来夢の人徳なのだろう。
これまでもインタビューなどにもなるべく自分で答えるようにしてきたという。完璧でなくていいのだ、間違っていてもいい、下手でもいい。来夢の「やる」という行動は、英語だけでなく全ての物事において同じで、彼は自分がやろうと思うことを素直にやっているのだと思う。簡単なことのようだけれど、邪念なくストレートにそう行動できる人は少ない。これぞ、片山来夢の「強み」なのだと感じた。
自分のタイミングで真っ直ぐに挑戦する姿
今回来夢はキャンプに参加しているのだが、ハーフパイプのバグジャンプの状況がとてもいいらしく1セッション目でさっそく大技を習得したと嬉しそうにしていた。
その辺りの日本との環境の差も、素早く察知して行動に移している来夢の行動力は抜き出ていると感じる。
22歳でオリンピック初出場。この競技では遅咲きの印象だ。その前のオリンピックは18歳だった来夢、その時はどうしていたの?
「いや~、日本代表でもナショナルチームでもなんでもなくて」。
とあっけらかんと言う。
彼はいい意味で、世間の抱くイメージや常識に捉われていないのであろう。
オリンピック選手となった前も後も変わらず、自分がやりたいことに真っ直ぐに挑戦しているのだ。
マンモスでのスノーボードキャンプを終えた後、メインパークもクローズしてしまった雪の少ないゲレンデを楽しそうに滑る来夢の姿があった。
完璧なパークとパイプを滑ったあとに、アイテムのない自然な地形でかっこいい滑りを見せる。
「オレ元々、パークもパイプも何にもないゲレンデがホームで滑ってたんですよ。だからこういうスノーボードが好きなんです」。
これからすぐには日本に戻らず、西海岸で短期留学をする来夢。「どうしてこのタイミングに学校へ行こうと思ったの?」私はてっきり、オリンピックが終わってひと段落ついたからなのかと思ったが、そうではなかった。
「いや~本当は去年行こうと思ってたんですよ。だけどスノーボードの遠征が多かったから」。
彼にとって、オリンピックが終わったからかどうかは関係なかった(笑)。
のんびり笑顔でマイペースに見える来夢だが、毎晩みんなが寝静まったあとにトレーニングをして、ボロボロになった英会話の本を持ち歩き、ラジオから流れる洋楽を口ずさんでいる。
何が自分に必要なのかを知り、できるタイミングにやる。
彼はこれからも、自分のタイミングで走り続けていくだろう。
そして彼のその素直に突き進む力は、これからも彼を飛躍させるだろう。
そんな片山来夢が楽しみで仕方ない。
Profile
片山来夢
1995年5月8日生まれ。静岡県焼津市出身。
Sponsor: Burton, Gallium , Foot pro station, 株式会社Peak, 戸﨑建設, からだメンテラボkine
主な最近のリザルト: ワールドカップ中国 2位、X games aspen 6位、平昌オリンピック 7位、Burton US Open 2位
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★この記事のライター
上田ユキエ
1973年1月22日生まれ。東京出身。カナダウィスラーでスノーボードを始め24年、ハーフパイプやビッグエアーなどの競技を経て、ガーズルムービープロダクション “LIL” を立ち上げ日本のガールズシーンを牽引。結婚を機にアメリカへ移住し6歳の息子(トラノスケ)を育てながらプロ活動を続け、現在はバックカントリーの魅力にはまり国内外の様々なフィールドを開拓中。2017年4月マンモスマウンテンに拠点を移し、よりナチュラルに山の近くで家族と新たな生活をスタートさせている。
Sponsor: K2 SNOWBOARDING, Billabong, MORISPO SPAZIO, NEFF, RONIN, ZOOT, CORAZON SHIBUYA, LALALATV
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