平昌オリンピックのビッグエアーで4位入賞した岩渕麗楽。17歳になった彼女は、今シーズンのワールドカップ初戦のビッグエアーで優勝から2連覇、今も世界を転戦し続けている多忙な女子高生だ。そんな麗楽が今シーズンの最終戦となる大会前に、1人マンモスへやって来た。そんな彼女が持つ真の強さの理由を伝えたいと思う。
Text: Yukie Ueda
大会前の練習をしにマンモスへ行きたいと麗楽から連絡があった。しかし、その時期ちょうど私たち家族は大会遠征で不在になってしまうのでずっと一緒にいてあげることが出来ず懸念していた。それでもやはりマンモスに来たいという麗楽の意思は変わらなかった。
海外遠征に慣れているとはいえ、まだ17歳の女の子。ひとりでロサンゼルス空港を乗り継ぎながら知り合いの居ない異国の雪山にやってくるのは心配である。しかしどうにかしたくなるのは、ここで練習したいという麗楽の強い意志を感じるからこそ。
ロサンゼルス空港では警察官の義弟が勤務中に麗楽の乗り継ぎを見届けてくれ、マンモス空港では私たちが不在の間我が家に滞在してくれることになったLA在住のヨガ講師Ami先生が待ち構えていてくれた。
アメリカに住んでいる日本人や日系人の私たちにとって、まだ17歳という若さで日本を代表する麗楽の姿は誇らしくもあり、精一杯応援したいという気持ちを掻き立てるのだった。
麗楽は年齢以上に幼く見える容姿とは裏腹に、落ち着いた雰囲気と冷静な判断力を兼ね備えている不思議な女の子だ。自分の意志をしっかりと伝え、目的意識を強く持っているからこそ、彼女の行動は多くの人に支えられるのだろうと思う。
惑わされない目的意識
まだ16歳になったばかりの麗楽から聞いたことがある。「集中力がしっかりある時じゃないとダブル(ダブルコーク1080)は練習出来ないんです」と。
この2年マンモスで練習する麗楽を見て来たが、周りのみんながパークを流していてもひとりでレストハウスで休んでいる姿をよく見かけたし、彼女は常に「自分のペース」を守りながら滑っていた。そのぐらいのレベルの技に挑戦しているからなのはもちろんのこと、滑りも生活も周りに流されないその芯の強さと判断力こそが、若くしてトップの座へと登りつめた要素の一つなのだろうと思える。
そして自分にとって必要なものと苦手なものがハッキリしている。この年代の女の子にしては珍しいほどハッキリと自分の意思を言える。
「私、それ苦手です」「それはやってみたいです!」
それは決して不愉快なものではなく、むしろ面白いし付き合いやすい。だからこそ、そんな麗楽とは親子ほど年が離れていても対等に話が出来るのだった。
可愛い怪物
初めて麗楽に会ったのは西田 崇がキッカケだった。「ユキエちゃん、麗楽はこれから絶対に世界で注目されっから。ブログで紹介してやって」と、彼に紹介されたのだ。
15歳だった麗楽はすでに爆発的な勢いだった。当時世界で女性では4人しか成功していないバックサイドダブルコークを練習していた。小さな体と幼い容姿でマンモスのビッグキッカーを勢いよく飛んで行く麗楽の姿にマンモスのローカルたちが、「あの子は一体何者なんだ!?」と驚いていたのを覚えている。
そんな麗楽を取り上げた私のブログのタイトルは『可愛い怪物』だった。今でもこのタイトルはどハマりだと自負している。ゴーグルを外した素顔にカメラを向けると可愛らしい笑顔ではにかんで見せるのだからたまらない。かと思えばその笑顔からは想像もつかない恐ろしい飛びをするのだから、このタイトル以外には一言で麗楽を表現する言葉は今でも見つからない。
その後、可愛い怪物はメキメキと実力を結果に残し、あっという間に世界のトップへと登りつめた。平昌オリンピックでの彼女の活躍は記憶に新しいが、そのたった1年前はまだあまり名も知れていない15歳の女の子だったのだからその成長ぶりに驚かされる。
そしてその状況の変化に一番驚いているのは彼女自身なのかも知れない。この2年、彼女を取り巻く環境がどれだけ変化していっただろうか。だがそれに物怖じしない、不安を見せない麗楽の気力の強さが何とも愛しくもあり頼もしくもあるのだった。
思えば、私自身のスノーボード人生には多くの人が関わっては通り過ぎて言った。スノーボードが初のオリンピック競技となった90年代、日本中が湧きスノーボード業界以外の人達やメディアからもチヤホヤされた時期もあれば、スノーボードバブルが通り過ぎて行った厳しい時代も経験して来た。時代の流れや取り巻く環境に翻弄されたスノーボーダー達も少なくなかった。プレッシャーに打たれるライダーもいれば、良き時代の余韻から抜けきれず去って行ったライダーもいた。
次から次へと変化していく時代と環境の中でも、自分自身の目標と惑わされない自信があればいいのだと思う。
あの頃の自分よりもずっと若い、今の麗楽を取り巻く凄まじい環境を見ていると、周りに惑わされず自分の判断で物事を選んで進んでいく姿が強く逞しく見える。
スノーボードの実力だけでない、その可愛らしい容姿の内側に秘める芯の強さを持つからこそ、彼女は真の、「可愛い怪物」なのだ。
オフの素顔 麗楽の道
麗楽はしっかりしている。真っ直ぐな視線で、ブレない言葉を発する。見た目の幼さと反面したそんなイメージが強かったが、私生活を覗くとまだ幼い素顔が見え隠れする。
マンモスで重なった短い時間の中で、麗楽とふたりで寿司屋のカウンターに座り語った。
将来のこと、進路のこと、スノーボードのこと。
私のアドバイスに必要以上の相槌など打たない代わりに、言葉のひとつひとつを逃さず、自分に必要なかけらを取り入れながら考えながら聞いているようだった。それでいい。周りの大人達の言う事を鵜呑みにせず、まず自分の中に取り入れて自分なりの考えて答えを出すことが大事なのだ。それが彼女自身の道へ導くのだから。
岩渕麗楽は、周知の通り既に日本のスノーボード界の歴史に残る大きな事を成し遂げた。そして今の立場だからこそ感じる悩みや葛藤もあるだろう。
このマンモスのキッカーは、2年前まだ無名だった彼女が大技のダブルコーク1080を完成させた場所であり、彼女にとって特別な思いがあるのではないかと思う。
あれからほんの2年の間に、日本代表に選ばれ数ヶ月後にはオリンピックの舞台を経験し、多くのメディアに取り上げられ日本中に顔も名前もその存在が知れ渡った。トップアスリートとなり息つく間もなく数々のワールドカップを転戦し、表彰台の真ん中に立つこともあれば大きなプレッシャーを抱えながら自分の実力を発揮できなかったこともあっただろう。
そんな彼女は、今回この地にひとりでやって来て何かを見つけることができただろうか。
彼女の15歳から17歳までの2年間は、恐怖に打ち勝つ精神力と自信を持ち続ける強さをやむなく与えられたであろう。私たちには想像もつかないほどのものを。その経験を超えて、更に強く美しくなった可愛い怪物は、これからどんな人生を歩んでいくのだろうか。
これからも、麗楽にしか出来ない新しい道を切り開いて行って欲しい。あのはにかむ笑顔を見せながら。
Profile
岩渕麗楽(イワブチ レイラ)
2001年12月14日生まれ (満17歳)。スノーボード歴13年。
Sponsor: ROCKSTAR、ゴルフパートナー、GLAY、BURTON、OGIO、OAKLEY、日本スキー場開発、日ピス岩手、ガリウムワックス、東北クエスト、MUSASHI、チューンナップ工房
主なリザルト: 2018 アスペン X games bigAir 2位、2018 平昌オリンピック big air 4位、2018 FSI WC bigair 1位(ニュージーランド)、2018 FSI WC bigair 1位(イタリア)、2019 FSI 世界選手権 スロープスタイル 5位(アメリカ)
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★この記事のライター
上田ユキエ
1973年1月22日生まれ。東京出身。カナダウィスラーでスノーボードを始め25年、ハーフパイプやビッグエアーなどの競技を経て、ガーズルムービープロダクション “LIL” を立ち上げ日本のガールズシーンを牽引。結婚を機にアメリカへ移住し7歳の息子(トラノスケ)を育てながらプロ活動を続ける。2017年4月マンモスマウンテンに拠点を移し、競技復帰を果たしながらよりナチュラルに山の近くで家族と新たな生活をスタートさせている。
Sponsor: K2 SNOWBOARDING, Billabong, MORISPO SPAZIO, NEFF, RONIN, UN, CORAZON SHIBUYA, LALALAUSA
昨年のリザルト: 全米スノーボード選手権2018 Legend woman class Halfpipe 優勝 Boarder cross 優勝 JLA Banked slalom 2018 Mom class 優勝
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