日本へ来たからには絶対に行きたかったニセコ。アメリカで生まれ育ち日本をルーツに持つ息子にこの地を見せておきたかった。ニセコは日本人スノーボーダーとして知っておくべき場所だと、アメリカに移住してから私自身改めて感じてきたから。
Text: Yukie Ueda
Special Thanks: NISEKO UNITED, NISEKO HANAZONO RESORT
※本企画は、上田ユキエの息子・虎之介(トラ)が、日本各地を訪れ、滑りながらそのエリアやリゾート施設の魅力を英語で海外の人へ伝えるとういうエンターテイメントコンテンツをYouTubeチャンネル『TORA BURGER』で配信。SBN FREERUNの連載記事では、その動画とコラボして上田ユキエ目線で各地の旅の記録を残していく。
伝説のシーズン
日本を離れアメリカに渡って11年。私がひらふや花園を始めとする “NISEKO UNITED” に訪れるのはそれ以来になるだろうか。最後に訪れたのは当時手がけていたガールズムービー『リル』の撮影で、現在夫である彼もフィルマーとして同行していた。あの頃もすでに外国人が増え街並みは変わり始めていたが、その入り混じった文化を楽しめるほどだった記憶だ。
アメリカへ移住してからは、そこまで外国人に進出されていなかったニセコモイワには毎年のように訪れていたが、90%以上外国人で埋め尽くされた主要エリアにはあまり近づかなくなっていた。心の何処かに、ニセコといえば思い浮かぶひらふのナイターや花園のマッシュ畑、目の前にどーんとそびえる羊蹄山を恋しく思っていたけれど、「もうあの頃のニセコではない」そんな印象が足を遠ざけていた。
しかし今は違う。私たち家族がアメリカから日本に移住して来たのはコロナがきっかけではあるが、コロナ禍でなくとも日本でシーズンを迎えるとなればニセコに足を運んだだろう。「ニセコは最高だよ」アメリカの雪山で聞かれるたびそう言い切る自分がいた。これからも自信を持って伝えられるべく、家族でニセコの雪を味わっておくべきなのだ。
私自身も久しぶりとなる『王道なニセコ』。
そこには想像を遥かに超える、伝説のシーズンが待っていた。
遊べるHANAZONO
寒気と暖気が交互に押し寄せ、今シーズンの日本列島は少々複雑だ。ニセコに到着した時は驚くほどの暖かさで、『この冬一番の暖かさ』だと説明された。
私たちの滞在する倶知安の街にはその夜軽い積雪があったものの、さほど期待せずに山へ上がった。しかし、ものの10分車を走らせたHANAZONOは別世界だった。「そうだ、これがニセコなのだ」少々侮っていた自分に歯痒くなる。
どこもかしこもパウダーで久しぶりにゲレンデの地理感が鈍っていた私は惑わされたが、まずは頂上を目指すべく、早く滑りたがる男どもを従えHANAZONOのリフトを乗り継ぎ山頂へ向かった。
標高が上がるとともに更に雪深さが増した。すると頂上にかかるキングリフトが開いたところだった。これがどれほどラッキーなタイミングだったかということを後になって思い知るのだが、ニセコ1ラン目は正面にそびえる羊蹄山を眺めながら視界に全く人のいない一面パウダーバーンを滑り降りるという最高なスタートとなった。
さすがニセコの山、麓まで滑り降りるに満足のできる長い距離と豊富な地形が続いた。HANAZONOに降りるつもりがひらふのベースに到着してしまい記憶を辿る。そう、この山は広いのだ。ゴンドラの中で日本に来てからこんなに大きな山を滑るのは初めてだった夫と息子にマップを広げて4つの大きなリゾートがつながっているのだと説明した。
HANAZONOといえば、マッシュやツリーの中を自由に滑れる “ストロベリーフィールズ” がまず思い浮かぶ。完全無整備であり、極上のパウダーが降り積もったその地形はたまらなく面白い。
HANAZONOエリアに戻ると夫と息子はその森を探検しながら、横たわった太いログに当て込みマッシュを見つけては自由に飛んでいった。広いパウダーバーンも最高に魅力的だが、彼らにとってはイチゴのようなポコポコと起伏ある地形が次から次へと出現する森の中はそれを上回る魅力があるのだろう。想像力を働かせ、自由に飛びまくっていた。
HANAZONOベースのEDGEで休んでいると、顔見知りのライダー達にも簡単に会うことが出来た。それもまた混雑のない今シーズンならではの特典だろう。長年ニセコに移り住んでいる天海 洋くんに会うと、彼らしいスタイルでトラとセッションしてくれた。ニセコの楽しみはパウダーだけではないのだということは洋くんの滑り方からも伝わって来た。
HANAZONOにはパークやアクティビティも充実しているので、子供のいる家族には最適だ。ゲレンデを眺めながら暖かい室内でアクティビティを楽しめる “GALAXY OF KIDS” には、いろんな種類のクライミングウォールやアスレチックがあり身体を思い切り動かして遊べる。
スノーモービルツアーはゲレンデとは違ったフィールドへ案内してくれるので、スノーリゾートから飛び出しニセコならではの極上パウダーライドが楽しめるのだ。
刺激的だったのが、子供の遊びだと思っていたチュービング。とんでもない、大人にもメチャクチャ刺激的ではないか。そのスピード感とスリル、加えてパウダースノーの上を滑る気持ちよさに何度も『おかわりトライ』をしたのは私だった。
記憶に残るストロベリーフィールズは変わらぬ地形と雪質でそこに存在していたし、以前の記憶を上回るパークやアクティビティが家族全員を楽しませてくれた。
HANAZONOは、遊べる。子供と一緒に滑るフィールドも滑らないフィールドも、とにかく遊べる場所だ。
吹雪も夜も極上
ハイシーズンのニセコは当然のごとく毎晩リセットする。
朝起きるたび、新しい新雪を纏った雪山がそこにある。それはどれほど贅沢な環境なのだろう。ニセコに来るたびにその価値を感じてきた。
そしてそのリセットは、ライディング時間中にも起こりうる。特に今シーズンのニセコには。
その日大粒の雪が降り続けるニセコビレッジは、一晩を待たずともゴンドラを一本滑るごとにバーンがリセットした。平日の人が静かな時間、ゴンドラで流す長いコースは深々と降り積もる雪で覆われた。滑るたびに朝一のノートラックを味わうような夢の世界だった。
ビレッジの麓にはゴンドラと隣接してヒルトンホテルがある。そのロビーは昔と変わらぬ落ち着いた雰囲気だった。このホテルが建った頃(90年代前半)に泊まったことがあり、その頃の記憶と変わらぬ印象のロビーに、なんだかとても懐かしい気持ちになった。ニセコはただ激変した新しい場所ではなく、古き良き懐かしい場所でもあるのだ。そこに気づくことができたのは、今シーズンが昔を思い出させてくれる静かさを持っていたからなのかもしれない。
今シーズンひらふのナイターはゴンドラを稼働していないが、センターフォーリフトは充分に長い距離と起伏に富んだ地形を滑らせてくれた。「こんなに長かったっけ」夜のリフトは昼間よりももっと長く感じた。マイナス15度という気温の中でも滑り続ける私たちの体はアツい熱を持っていた。滑るたびに、雪が溜まっている。ナイターの照明が幻想的に照らす雪面に思い切りスプレーをあげまくった。
『これは、海外の人たちが来るよね』
こうして夢のような気持ちを味わった者はその感覚を忘れられなくなるだろう。夢見心地にそう言う夫も息子もまた、そのひとりに加わったことを実感した。
変わらぬもの
こんなニセコはこれっきりなのかもしれない。
来シーズンには通常のニセコの賑わいが戻り、滑り手にとってはファーストトラックの競争率も激しくなり、もしかしたら少々ガッカリするかもしれない。
けれど、ニセコの雪は変わらない。昔からある良い部分もそこにしっかりと残っている。
近年の人混みの中ニセコを遠ざかり、見えなくなっていたものが、今シーズン見えた気がした。
ニセコは世界一の雪質だと言われるほど有名になった。
街並みは激変し、訪れる人の数も激増した。
でも、そこにある山も降る雪も変わってはいないんだ。
『またニセコに戻ってこよう』
最後のナイターを滑り、私たちはニセコを後にした。
TORA BURGER#16 NISEKO HANAZONO RESORT ニセコ花園リゾート
TORA BURGER#17 NISEKO@HOKKAIDO ニセコひらふ&ビレッジ
「CALI TO JAPAN TRIP」過去の記事
EPISODE 1 – 北海道旭川の旅。はこちら
EPISODE 2 – 岩手夏油の旅。はこちら
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★PROFILE
上田ユキエ
プロスノーボーダー歴27年。ハーフパイプとビッグエアーの選手としてプロ戦やワールドカップを転戦し、ムービー制作やスノーボードブランド立ち上げなど日本のガールズシーンを盛り上げたのち、結婚を機にアメリカカリフォルニア州へ移住。マンモスマウンテンに拠点を移し日本とアメリカでスノーボード活動を続けて来たが、今回家族ごと1年間の日本移住を果たす。
SPONSOR: K2 SNOWBOARDING, BILLABONG, UN, RONIN EYEWEAR, HAYASHI WAX
ORION 虎之介
2011年4月5日生まれ9歳。カリフォルニア生まれの日系アメリカ人3世バイリンガル。スノーボードとスケートボードが大好き。USASA全米スノーボード選手権2019 7Under部門総合3位。
SPONSOR: K2 SNOWBOARDING, BILLABONG, VONZIPPER, UN. RONIN EYEWEAR, ETNIES, HAYASHI WAX, MAMMOTH TRAMPOLINE CLUB