パパ&ママスノーボーダーに聞くファミリースノーボーディングSTORY!
by 橋本通代
第1回:本多未沙&ファミリー(前編)
〜みさの頑張りに感謝〜
みさに出逢ったのは小学4 年生、ヤナバでのキララキャンプ。
ピンクのウェアに身を包み、ジャンプがとても上手で、
まるでピンクのうさぎさんのようだったみさ^^
キララ卒業後、2008 年中学3 年の時にJSBA 公認プロ資格(ハーフパイプ)取得。
2011 年と2013年にはFIS スノーボードジュニア世界選手権大会に出場し4 位を獲得。
近年は、テクニカル、バンクドスラローム、スノーボードクロスと活動の場を広げ、
2018 年3 月第25 回JSBA 全日本スノーボードテクニカル選手権大会で見事3 位入賞。
先日、第17 期JSBA 公認デモンストレーターに認定されました!
みさの活躍を支えたお母さん、通称みさママにお話しを伺います。
橋本:大活躍おめでとうございます!ママの目にはどう映っていますか?
ママ:スノーボードを続けてきた中で、やってきたことの一つ一つが正しかったかどうかわかりませんけど(笑)。最近、自分で考えて決めて、自分で活動している彼女を見ていて思うのは、今までやってきたことに得たことがあったから、またそこに戻ったのかなって感じることがあって。子どもの時にひいたレールは本人にとって大変だったと思うけど、それが今、本人に活きているのが嬉しいなと思います。
ハーフパイプから現在はジャンルをこだわらずに種目の幅を広げて活動していることや自分の意志で今も選手を続けていること、いろんな時期を経て今の場所にたどり着いたことが嬉しいです。
関わる人も自分で選んで、多くの人から刺激や影響を受けてスノーボードの活躍の仕方も自分で考えて。
今まさに、これまで積み上げてきた様々なことが花開き、誰とも違うオンリーワンの花を咲かせた彼女のこれまでの道は、どんな道だったのでしょうか。
小学生時代から話を伺わせてもらいました。
橋本:スノーボードを始めたきっかけは何ですか?
ママ:主人も私も独身時代に趣味でスキーをしていましたが、結婚後は忙しい生活の中で全く遠ざかっていました。
小学1年の冬にみさに初めてスキーをさせてみたらとても喜んで、すっかりはまってしまい家族共通の楽しみになりました。
その頃、スノーボードをしていたパパの影響もあって、“スノーボードをしたい!”と毎日言われ続け、“1 シーズンちゃんとスキーを練習したら、スノーボードはじめていいよ”と約束して、6 月から私と一緒にザウス(※ららぽーとスキードームザウス)でスノーボードを始めたんです!その後冬までずっと、ザウスのスクールに通いながらスノーボードの練習をして、小学2 年の冬、舞子(※舞子リゾート)で雪山スノーボードデビューしました!
橋本:スノーボードがレジャーから競技へ変わっていったきっかけ何でしたか?
ママ:最初は家族のレジャーとしてスノーボードをしていましたが、競技へと変化したきっかけは、ザウスが閉鎖になったことです。家族でロスザウス状態だったのですが、ザウススクールの先生の紹介で、スノーヴァ溝の口(※スノーヴァ溝の口-R246)に通うことになったんです。
スノーヴァ溝の口はハーフパイプやワンメイク、ベーシックなどキッズレッスンが充実していてバッジテストにチャレンジする機会があり、JSBA1 級まで取得しました。私がバッジテストを受けているのを見て、みさも受けたくなったみたいで、バッジテストを目指すようになりました。
また、スノーヴァ溝の口に通うようになったことで、ファミリースノーボーダーとつながることができて、子どものレッスン中に情報交換をして、そこでキララキャンプのことも教えてもらいました。バッジテストや、キャンプ、大会など、スノーボードの世界がぐんと広がりました。
橋本:毎日練習できて、仲間もできて、情報収集できるスノーヴァ溝の口があったことで、レジャーから競技へと意識が変わっていったんですね!初めて出た大会は何でしたか?
ママ:小学4年生の時にスノーヴァ溝の口の大会から始まり、スノーヴァ溝の口のチームで、JSBA 全日本スノーボード選手権 関東地区大会に出場。ハーフパイプ ユース女子部門2位になり、全日本に進み、初めての全日本は6位になりました。
この時期から後にFIS大会やSAJ強化選手で一緒に活動する子たちと出会い、切磋琢磨していきました。全日本ユース女子で優勝し、そして一般女子でプロ資格を取ることが目標になっていきました。
橋本:バレエなども頑張っていた印象があります。他の習いごと、他の習い事とのバランス聞いてもいいですか?
ママ:バレエ(週に2 日)、ピアノ(週に1 回)、塾(週に2 回)、スノーボード(平日週4日 20 時前~23 時で練習)スノーヴァ溝の口が、キッズ選手としてサポートして下さり、学校と両立しながらレッスンや練習できる環境、そしてスポンサーなども紹介して下さいました。常に大きな支えがあったからこそ頑張れたんだと思います。
橋本:小学校時代、子どものスノーボードをサポートするにあたり、一番大変だったことは何ですか?
ママ:最初、舞子の往復だけでよかったのに、大会に出場するようになって、いろんなスキー場に行くことになり、生活が一変しました。私は雪道の運転ができなかったので、二人で荷物を背負って電車やバスで移動するのが大変でした。あと健康面ですね。スノーヴァでの夜の練習がだんだん増えて、夕食用にお弁当などを作ったりもしていました。
橋本:小学時代、家族でスノーボードに行かれる方が多いのですが、小学校時代、子どもとスノーボードをしてよかったことは何ですか?
ママ:レジャーとしてはじめたスノーボードがスポーツになっていったのですが、彼女自身が、目標を持って頑張ってくれたことで、家族で一緒に同じ目標に向かえたことがとてもよかったです。
橋本:話は変わりますが、初めての海外スノーボードの話を聞かせて下さい。
ママ:2005 年小学6 年生の夏に行った“ハイカアメリカンキッズセッション”です。ハイカスケードキャンプの猪狩さんが企画してくださり、みっちゃんの引率で、今でも仲良しの村井美萌砂ちゃんや高橋龍正くんと一緒に参加させていただきました。その年の冬には、私も一緒にウィスラーへ。
みっちゃんが企画したトリップで、片山來夢くんも一緒でした。ウィスラーという世界スケールの山で布施忠さんとも一緒に滑ることができて、海外でスノーボードなんて考えたこともなかったので、本当によい経験ができました。
海外でのいろんな人との共同生活や練習経験は、人見知りで消極的だったみさに、スノーボードの楽しさや遊び心、自主性やチャレンジ精神などを育んでくれたように思います。今、共同生活や自炊しながら普通に海外で練習しているのも、この経験からのおかげです。
橋本:次に、中学時代、高校時代のことを聞かせて下さい。
中学では部活が始まったり、受験があったりで、スノーボードをやめる方も多いですよね。中学時代はどんな風でしたか?
ママ:すでに小学時代にプロになる目標があったので、学校、スノーボードに忙しい毎日を送っていました。でも中学1 年のシーズンに顎を骨折してしまい、1 か月入院して手術し、
そのシーズンはすべての大会を諦めることになりました。
大事な大会の目前だったので、本人もとてもつらそうでしたが、中学2 年の冬にようやくユース女子で優勝の目標を達成し、翌年の中学3 年にJSBA 公認プロ資格を取得しました。
とてもつらい経験だったと思いますが、初めてスノーボードを休んでいろいろと考えたり、スノーヴァ溝の口の堤先生のアドバイスで、もう一度基礎をしっかり練習し、テクニカル選手権などに挑戦できたことも、この後につながってきたように思います。
橋本:中学、高校といえば受験。受験といえば冬。みなさんいろいろ頭を悩まされる大事なことだと思いますが、中学受験、どのようにされましたか?
ママ:中学受験は、中3の春から情報収集をしました。プロ資格取得後はPSAのプロ戦だけでなくFIS大会を中心に活動を考えており、忙しくなるのがわかっていたので、理解のある高校を探しました。高校の学校案内を中心に情報収集しながら、いろんな学校の説明会に行きました。
それまでにも、学校には毎年資料を作って大会遠征のお休みをお願いに行きましたが、最初は先生や学校にも活動を理解してもらえないところがありました。地域的にスキーやスノーボードをする家庭が一般的に少ないので、スノーボードがスポーツ競技であることを説明するのがなかなか大変でした。
中学では高校進学において欠席日数が関係してきますが、「部活動にないスポーツ」ということで、部活動の試合遠征のような欠席扱いも最初は認めてもらえませんでした。
でも全日本に出るようになって表彰される機会が増えたことから、インターネットで情報を見てくださったり、徐々に理解が得られて、学校の朝礼で全校生徒の前で表彰して下さったり、大会の欠席を公休扱いにして下さるようになり・・逆に応援してもらえるようになりました。
高校は、スノーボードのおかげで「スポーツ特待生」として日本女子体育大学付属二階堂高等学校に推薦入学させていただき、普段の練習や競技についても状況を聞いていただきながら応援していただくことができました。
<後編に続く>
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