The Story of ADVANCE Marketing~マイク宮沢氏に聞く。『スノーボードカルチャーとともに歩んだ35年の歴史』<第2章>

飛ぶように売れる、とはこのことだ。アメリカからはどんどんスケートボードが届くけれど、注文が多すぎてまったく追いつかない。毎日深夜まで発送の作業に追われる宮沢のもとには、顧客からはこんな問い合わせが寄せられるようになった。「スノーボードは扱ってないんですか?」

Episode-2 アドバンスマーケティングを大きく前進させたLIB TECHとの出会い。


「私自身はスノーボードのことをよく知らなかったんですよ。だからアメリカの知り合いに頼んでいろいろ調べてもらったら、GNU(グヌー)っていうブランドがイケてるらしいよ、今一番注目されてるブランドだよってことだったんです。それを聞いてGNUに、一度詳しい話を聞きたい、っていうファックスを送ったんですよ。そしたら年明け、1988年の1月にラスベガスで開催されるSIA(Snow Industry America=スノー関連の展示会)に出展するっていうんです。じゃあそこで品物を見てみよう、っていうことでSIAに行ったんです」

1988年頃のスノーボードといえば、現在のバインディングの原型が生まれた頃だ。それまでのスノーボードは手作り感が強く、立ち乗りのソリとも言えるような存在だった。それが工業製品として大量生産され始めた頃であり、振り返ってみればスノーボードムーブメントが巻き起ころうとしているときだった。

初期のGNUをPRするための雑誌広告。ネオンカラーが時流を物語る

「その頃のGNUはほんとうに小さいブランドで、展示会って言ってもサンプルの板がポツンと置いてあるだけ。対応してくれたのがマイク・オルソン(Mike Olson)とピート・サリー(Pete Saari)なんですが、GNUを作ってるマーヴィン・マニュファクチュアリングっていうスノーボードカンパニーの創業者だって言うんですね。どうもこの二人以外に社員はいないらしくて、大丈夫かって思いながら話してたんですが、彼らは自分たちの作るボードを日本で売れることがすごくうれしかったようで、「金があれば注文分は必ず作れる!」と言われ、それを信用して代金前払いで注文をしました。

90年になり、セカンドブランドとしてLIB TECH(リブテック。正式名称LIB TECHNOLOGIES / リブテクノロジーズ)を発表したのですが、グラフィックはガイコツがサングラスをかけてるようなもので、当時の流行りの色鮮やかなデザインとは全然違っていました。だから「これは日本では難しいかもしれないね」ってマイクに言ったのを覚えてます」

マーク・ゲイルによって描かれた「Doughboy」と称したスケルトングラフィック。長さも2m近くもあり、初登場ながら見るものを圧倒するインパクトを与えた

ちなみに、このときの出会いはマーヴィン・マニュファクチュアリングのヒストリーページにも記されている。マーヴィンが自社の歴史の中で代理店関係者の名前をあげるのは宮沢だけだ。それくらいマーヴィンにとって、アドバンスマーケティングとの出会いは大きなものになっていく。

「そうやってマーヴィンとのビジネスが始まったわけですけど、ともかく相手の会社は小さいし、グラフィックは奇抜だし。この時点で明るい材料なんて何もありませんでした。なんとか売るためにと、池袋のサンシャインシティで開催された国内のアクションスポーツ展示会にサンプルを展示したんですが、困ったことに一番短いものでも168cm。あとは178と188cmっていうとんでもないサイズしかなくて、その3本を置くしかありませんでした。でも主催者が来場者に『いちばん乗ってみたい板はどれでしたか?』っていうアンケートをとったらLIB TECHが1位になっちゃったんです。いやー、分かんないもんだな、スノーボードのお客さんっておもしろいなって思いましたね」

LIB TECHスタート当時、サーフィン雑誌に掲載されたアドバンスマーケティングの広告原稿

もちろんその年、スケルトングラフィックは話題の中心となり、またたく間に完売した。こうして日本でのLIB TECHは個性的なグラフィックと一筋縄では乗りこなせないじゃじゃ馬な特性が評価され、玄人好みのコアな板として知名度を上げていくことになるのだ。

※文中敬称略

マイク宮沢(宮沢武久) 山梨県出身。1966年に光学機メーカーの駐在員として渡米。その後、都合20年に渡ってカリフォルニア州他で仕事をしながらアメリカ生活をエンジョイした。西海岸の自由な空気感を活かした独自のビジネスセンスは、やがてスケートボードとスノーボードへと帰着。多くの刺激的なブランドを日本に紹介し、長きに渡って日本のヨコノリカルチャーを支えてきた。2020年東京オリンピックでは、スケートボードの種目追加にも係った。


 The Other Stories ~ストーリーに載りきらなかったいくつかの話題~

■マーヴィン・マニュファクチュアリングを一言で表すとしたら?

「それはもう『自由』ですね。私たち日本人の感覚からすると、会社がこんなに緩くていいのか?って心配になるくらい、時間や勤務態度に縛りがないんですよ。働く場所っていうよりクラブハウスみたいな感じで、あの自由さはちょっと他でも見たことがないですね。だけど、ちゃんと最後は帳尻をあわせてくるし、出荷する品物も納得のいくレベルに仕上げてくる。たぶん従業員が全員、自分の仕事を楽しんでやってるんですよ。自分たちが好きなものを好きな環境で作ってるっていうことが、言われなくても責任を持って仕上げるってことに繋がってるんでしょうね」

マーヴィン・マニュファクチュアリングのオフィス前でのミーティング。自然に恵まれた環境を感じながら新たなるプランが生み出される

 

■マーヴィン・マニュファクチュアリングの創業者のひとり、マイク・オルソンについてはどんな印象をお持ちですか?

「まちがいなく天才ですね。奇抜で自由な発想をする人。それでいて、そのアイデアを形にする技術を持った人ですよね。高校生の時に手作りでサーフボードを作ったけど、シアトルじゃあ近くに海がない。それじゃあパウダーで乗ってみたらいいんじゃないかってサーフボードを山に持っていったそうです。そこから、サーフボードで雪を滑るんだったらフィンはこんなに大きくなくていいとか、ボディはフォームじゃなくてグラスファイバーメインでいいとか、いろいろな試行錯誤が重なってGNUやLIB TECHっていう非常にオリジナリティに富んだスノーボードが出来上がってきたわけです。出発点がサーフィンってことを考えたらマーヴィンの製品が持ってる自由な雰囲気や、後にLIB TECHがサーフボードを作ったことには納得しかないわけで。40年以上に渡って想像力と好奇心を絶やさず、情熱を形にしてきた素晴らしい技術者だと思いますね」

マイク・オルソン(右)、ピート・サリー(左)そしてもうひとりマーヴィン・レスリーの3人でスタートしたマーヴィン・マニュファクチュアリング。マイク・オルソンは1977年に高校の授業の中でスノーボードを作ったという。photo: Akira Onozuka

 

■このあと、アドバンスマーケティングはALLIANという強力なブランドとも深い関わりを持つようになります。このブランドが生まれた背景について教えてください。

「キーパーソンはインゲマー・バックマンなんですよ。アドバンスマーケティングとはTYPE-Aのライダーとして繋がってたんですが、その後インゲマーはATLANTISっていうブランドに移籍しました。ところが99年の夏に突然、ATLANTISが終了したんです。それで困ったインゲマーから、新しくブランドを立ち上げようと思うからチカラを貸してくれないかって相談されたんですよ。なにしろインゲマーはATLANTISに乗って1998年のインスブルックのAIR & STYLEで優勝してましたし、その功績で1999年のAIR & STYLEにも招待されてたんです。AIR & STYLEは当時、世界最高峰のジャンプの大会で、そこに招待されること自体が非常に名誉なことですからね。インゲマーほどの選手がビジネスのあおりをくらって出場できないのは見過ごせないと思って、少しだけ私のできることを手伝いました。そしたらインゲマーが、ブランドの名付け親はマイクにお願いしたいって言ってくれたんです。
当時、飛行機に乗るたびに航空会社の提携組織のSTAR ALLIANCEっていうのを見て、 “仲間とか連帯を表す、いい名前だなぁ” と思っていたので、そこからヒントを得てALLIANっていう造語を提案しました。1999年のAIR & STYLEは、LIB TECHの山崎勇亀も招待されてたんで私も観戦に行きましたが、彼もすごく会場を湧かせててね。いろいろと感慨深いコンテストでした」

TYPE-A、ATLANTISとブランドが変化するなか、インゲマー・バックマンはADVANCE CUPをはじめ宮沢氏との信頼関係を深め、自然とALLIAN誕生への道へと進むことになる
LIB TECHに乗る山崎勇亀と共にAIR&STYLE(インスブルック・オーストリア)を訪れた宮沢氏。同時にそこはインゲマー・バックマンによるALLIANのお披露目の場となった。右はALLIAN 2000-2001年のプロダクトカタログに掲載されたインゲマーの特大ジャンプ。今見ても迫力十分な高さだ
インゲマー・バックマン、ジョン・サマーズ、ケール・ステファンなど強力なライダーたちによってつくられてきたALLIANの歴代ラインナップ
ALLIAN創世記の2000年5月レイクタホに8人のメンバーが集合、最初の集合写真とプロモーションビデオの撮影がおこなわれた

インタビュー:林 拓郎
Photo: ZIZO

>>Episode-1 その始まりには….