2019年5月15日(水)~20日(月)、銀座三越 7階・催物会場。日本の皮革に魅せられたレザークリエーターたちが、インフルエンサーとともに “皮革の新たな魅力” 、“皮革のさらなる可能性” に挑む、『ジャパンレザープライド・ギンザ』が開催された。
この展示会に出展する、レザークリエーター兼デザイナーの加藤貴子氏の作品の中に、彼女が厳選した皮革を用いて、スケート界のレジェンドであり、ハンドメイドスケートボードシェイパーのアキ・秋山氏が製作したスケートボードとコラボし、さらにそのスケートボードにプロスノーボーダーとして活躍する工藤洸平がアートを施した作品が発表された。この作品が発表されるまでのストーリーと想いを工藤洸平に語ってもらった。
-洸平はどのようなきっかけで今回の作品に参加することになったの?
「日本の皮革を使った作品作りの展示会に参加してみない?」と、(加藤) 貴子さんに声をかけてもらったのは今年の2月に開催されたあるイベント会場でした。子供の頃から貴子さんのことは知っていて、自分がアートに興味があることも彼女には伝えてあった。「いつか一緒に何か面白いことをしたいですね」って、以前話したことを覚えていてくれて、今回の作品に参加することが実現したんです。
-アキ・秋山さんとはどのように知り合ったの?
貴子さんのご主人には僕が子供の頃から可愛がってもらってて。加藤さんとアキさんは古くからの友人で、その展示会の場でアキさんを僕に紹介してくれました。アキさんは、”日本のスケートカルチャーにおける第一人者であり、アメリカのヨコノリカルチャーを日本に伝えた人” ということは知っていたけど、面識はなかったんです。でも、アキさんに会った瞬間に彼のパワーに押されたと言うか、とても波長があったんです。
-アキさんとのファーストコンタクトを教えて?
アキさんは自分にいろいろな話をしてくれました。18歳で初めて渡米した時の出来ごとや、スケートの世界選手権に何度も出場して現地の新聞に掲載されたこととか。今から30年以上も前の映像も見せてくれました。話の内容はどれもおもしろく、自分を引きつける内容ばかりだったんです。アキさんは海外にも多くの友人がいて、そのイベント会場でも気さくに話しかけられてました。ある海外の有名なスケーターにも『アキがシェイプしたスケートボードを売ってくれよ』って、話しかけられてもいたんです。彼に出会ったばかりなのにあっという間にファンになっている自分がいました。別れ際、アキさんがシェイプしたスケートボードをプレゼントしてくれたんです。この日は驚くことばかりで、刺激的な1日だったのを覚えています。
-洸平はこの作品でアートを担当したけど、どのようなコンセプトで何を表現したかったの?
中央に描かれている二人の顔は俺とアキさんを表現しています。アキさんに歳を聞いたら今年還暦の60歳。アメリカでスケートを楽しんで、自分が生まれる前からヨコノリを知っている。自分の父より年上でこんなにライフスタイルが絵になる人がいるとおもったらなんだか嬉しくて。それと、ヨコノリやアートには礼儀はあったとしても、歳も地位も上下関係もなく、それらを抜きにして互いをリスペクト出来るカルチャーがあると自分は思ってて。このアートは自分のアイコンとして描くことがあって、それらの想いをふまえて今回表現してみたんです。
-実際、3人の想いがひとつのスケートボードになってどう思った?
すごく新鮮。実際、スケートボードにレザーを編み込んだ作品を今までみたことないですしね。今回使用した栃木レザーを扱える人は日本で貴子さんの知る職人さんただひとりらしく。革は硬く、とても扱いずらいんですけど、あえてこの革で作りたいって貴子さんが言ってきてくれて。それをまたひと手間ひと手間に卓越した技術で仕立てくれたんです。スケートボードにあわせての皮革の裁断は完璧で、とても綺麗ですよね。アキさんのスケートボードのシェイプに、貴子さんとの掛け合いなど、ほんと楽しい時間を過ごすこと出来て感謝の言葉しかないです。
レザークリエーター/デザイナー(左)
加藤 貴子
札幌生まれ、東京在住。明治創業の靴職人を曽祖父に持ち、代々続く靴・ハンドバッグ店、イタリアのアパレルブランド店を経営する家系に生まれ育つ。現在、自身のアトリエで、新作のデザインとパターン制作を自ら行い、2013年から海外へ展示発表。
プロスノーボーダー/アーティスト(右)
工藤洸平
北海道出身。1990年2月9日生まれ。子供の頃から卓越した技術で数多くのコンテストでで入賞を果たす。2010年バンクバー冬季五輪ハーフパイプ日本代表。現在はスノーボーディングの本質を表現するべく、自身がプロデュースするムービープロジェクト「K FILMS」にて数々の作品を発信。オリジナルなライディングスタイルやライフスタイルで日本のスノーボードカルチャーを牽引しながらも、アーティストとしてもその才能を発揮している。