続きの続きの道作り~セカンドキャリア構築へのチャレンジ

―スキー/スノーボードで、人の心動かす
自分を見つめ始めた13歳から、自分の大好きなことを探し続けて、
心と体全てが喜ぶスキーに出逢ったのが19歳の時でした。
その頃の目標は、“スキーで有名になり人の心を動かす人になること”。
そして24歳の時にカナダ/ウィスラーでスノーボードに転向。
目標は“世界に通用するライダーになること”に変わったけど、
やはり一番の想いは”人の心を動かすこと“でした。

スノーボード始めて3年目のMt.Hood

―大好きな子ども達と関わりながら、キラキラと輝く子どもを育てる
スノーボードを始めて6年後にオリンピック、
その直後に燃え尽き症候群、頚椎損傷。
心も体もストップし、また広い視野で
じっくり自分を見つめて見つけた答えは、
大好きな子ども達と関わっていきたいということでした。

そこから17年、“キラキラと輝く子どもを育てること”を
一番の目標に、初めてから世界までの道作りもして、
今はキッズスノーボーダーもいっぱいで、
キッズ育成に取り組む人も環境も増えて、
みんなで開拓した道は、広く、強くなり、
いろんな道もできてきて、本当に嬉しいです。
気づけば自分も46歳!
自然と、次の道作りにチャンレジしたくなりました。
選手・育成・その続きの道作り。

2005年 KIRARA KAMP@アルツ磐梯

―大好きな場所でのセカンドキャリアの創造。
“アスリートのセカンドキャリア構築”は、様々なスポ―ツの課題。
スノーボードも同じで、現役プロスノーボーダーであっても、
一年中スノーボードだけをしていられる人はごく一部。
ほとんどのスノーボーダーはスノーボードや生活のために
スノーボード以外のバイトなどで収入を得ている。
現役を引退した後は、他のアスリートと同じく、
経験を活かして生きていくことは更に難しい。

私自身もこのことをずっと考えている。
大好きな場所で大好きな人達と、自分の経験を活かしながら、
人や社会の役に立つことは何か。
一度しかない人生、自分を縛らず、自由に夢を描いて生きていきたい。
大自然があり、年間を通してたくさんの人が集まる軽井沢が楽しくて大好き。
姉妹都市であり、自分を育ててくれたカナダ/ウィスラーともつながっていきたい。
年間を通して、自分達の経験を活かしながら、社会・地域に貢献して生きること。
軽井沢をベースにチャレンジしてみようと思う。


軽井沢スノーパークから見える浅間山

―令和。新しいスタート
軽井沢の新しいスポットである南地区・発地エリア。
スポーツと農業のセンターとしての発地エリアには、
カーリングやアイスホッケーが年間を通して練習できる施設や、
いろんなスポーツ遊具で遊べるローラースケート場、
スカップ軽井沢(通年型室内プールやジム)、
総合体育館などがある軽井沢風越公園や、
軽井沢食文化発信地である軽井沢発地市庭他、
キャンプ場に、ファームなどなど、
心と体にいい物がいっぱいつまっている。

軽井沢アイスパークではいつでもカーリング体験ができる。

令和になってすぐの5月4日に、
軽井沢発地市庭主催の“第3回ウェルネスウォーク”に
夫婦でスペシャルゲストとして参加させていただきました。
内容は、8kmもしくは9kmのコースにわかれ、
南軽井沢のスポットと食をめぐるウォークイベント!
8つのエイドステーションで美味しいものをいただきながら、
新緑のパワーあふれる美しい軽井沢をじっくり歩いた1日。
本当に幸福な一日でした。


初めてのウォークイベント☆

そして軽井沢発地市庭主催“軽井沢グランフェスタ”にて
スラックライン講習会も同時開催。
講習会には2日間で300名の方がご参加してくれました!
軽井沢発地市庭での2日間は、
新しいチャレンジの素晴らしいスタートになりました。

軽井沢発地市庭でのスラックライン講習会

この夏からは、いよいよ森林整備&アクティビティもスタート。
農業にもチャレンジ予定で、自然、スポーツ、食など、
自分達が大好きなことにどんどんチャレンジする予定です。

とはいえ、また知らないうちに自分で自分を縛り付けて、
視野が狭くなる時もあると思うけれど、
草花がただ素直にまっすぐ太陽を向くように、
自分も自分の大好きなことにまっすぐに向いて、
新しいチャレンジを楽しんでいきたいと思います。
またいろいろ発信していきたいと思いますので、
これからもどうぞよろしくお願いします^^☆

橋本 通代 / Michiyo Hashimoto
ソルトレイク五輪ハーフパイプ代表(ファイナリスト) “スノーボードを通じて、キラキラと輝く子どもを育てたい”と、 2003年より子どもスノーボード教室“KIRARA KAMP”を全国で開催。 キッズスノーボーダ―育成のパイオニアとして活動。