TEXT &PHOTO BY OBA SNOWBUM
98年、湯沢に籠った私は同じ家にニセコヒラフからやってきたボーダークロスの日本トップクラスの選手であった加藤勝氏と出会った。
ある時湯沢で新雪を喜んで滑っている私に、ニセコの雪はもっともっと軽いよと彼は言ったのだ。「ニセコの雪はどんなだろう?」一度行ってみたいと胸が膨らんだ。
翌年、彼が居候していたマウンテンジャムというペンションに12月から約2
か月の間、私も居候させてもらうこととなった。あこがれのニセコの雪を味わうファーストシーズンの始まりだ。
現在、GENTEMSTICKライダーである永田貴徳氏に出会ったのもこの時であり、その後も私がSNOWBUMというツアー会社を始めてから、ニセコツアーのガイドを彼にお願いしている。
今回のツアーはもともとスノーボードサイト主催で弊社に依頼いただき、私が添乗していた経緯から始まったツアーである。リピーターのお客様も要望もあり、そのまま引継ぎせていただき今年もマウンテンジャムさんに宿泊しニセコツアーを実施することになった。
当時の私はパウダーの経験も少なく初めて来たニセコでは驚きの連続だった。雪は軽く、常に降っていた。厳冬期は羊蹄山が拝めるのも月に数日間。雨など降らなかった。ニセコでツリーランも経験しパイプ全盛期の本州の人間には毎日が発見の連続で楽しくて楽しくてしょうがなかった。
こんなに地形が面白くフリーランができるゲレンデなんて他に無いと感動し、一気にニセコに魅了されたものだ。
今では海外のビレッジのように綺麗でモダンなホテルやコンドミニアムが立ち並び、インバウンドのお客様が多くなったが、当時はまだ少なかった。
ニュージーランドやオーストラリアにはニセコのような雪は降らず、山はゴツゴツしてツリーランができるようなところも少ないようだ。
きっと彼らも私と同じように感動し、魅了されたのであろう。
その感動が人を呼び、さらにその人たちが人を呼ぶこととなり、世界でも有名なリゾートへと変貌を遂げたのだ。
コロナウィルスの猛威によって鎖国をしていたこの国は、諸外国が国境を開放してもなお間口は狭く、個人旅行であっても旅行会社が手配をしなければならず外国人の旅行者にはかなりハードルが高かった。
しかし、昨年12月初旬より一部制限がある国もあるがワクチン3回以上または陰性証明書があれば入国できるようになり、ようやくリゾートにも多くの外国人がやってくるようになった。
土日ともなれば去年とは違いゴンドラも人が多く、ウェルカムセンターから下る道の飲食店には夕食の時間になると多くの人が店に並び、パンデミック以前のニセコに戻ってきたなという感覚だった。
ニセコへ来る人々はパウダーを求め、サイドカントリーやバックカントリーを滑りたがるのは間違いない。そうなると、もちろんスキー場管理外で事故が発生する可能性も多くなる。
そのため、ニセコはいち早くスキー場管理外のポイントにゲートを設置し、積雪状況とその安全性を見極めゲートの開閉を行っている。
そしてニセコルールというものを発表し、立ち入り禁止区域を設定し、ゲートからスキー場管理外を滑走する人達にはヘルメット装着とビーコン(雪崩時に電波を発する装置)の装着を最低限必要と定めているのだ。
弊社ツアーでも捜索に十分な保険とヘルメット、ビーコンをお持ちいただくか、レンタルしてしていただいている。また管理外を滑走するような場合はゲートにてビーコンをチェックすることは欠かさない。
このようにルールを守り、安全にニセコのパウダーを楽しんでいただいている。
私が籠っていた当時から、誰が名付けたのか定かではないが、ニセコヒラフにはサイドカントリーの滑走エリアにストロベリーやロイズといったしゃれた名前がついていて、まるでカナダのようだと感心したものだ。
今ツアーの初日、お昼ぐらいに到着した頃はまだ視界もよく羊蹄山もアンヌプリ山もみることもできた。
ツアー2日目以降は十分な積雪もあり、25年前を思い出させるかのような、ふかふかの上質パウダーを満喫することができた。
当時はちょっとしたサイドカントリーを滑るとファーストトラックで腰ぐらいのラッセルなんてことはよく経験したものだが、インバウンドが増え始めてからはどこも滑りつくされ、残りパウダーを探すのも一苦労だった。
しかしながら今回は十分な量の降雪とガイドの永田氏のおかげもあり、良質で快適なパウダーを味わうことができた。
ニセコは気温の低さもあり、多少ラインが入っても雪が硬くパックされずらいので、もさもさした面をノートラックとは違った滑りでアグレッシブに楽しむことができる。これが本州の雪との大きな違いではないだろうか。
25年前から比べると、ヒラフゴンドラは8人乗りに変わり、花園第1リフトは6人乗りの暖かいヒーター入りの座席になり快適だ。
さらに、花園には昨年新しい10人のりゴンドラが新設されてもいる。しかも来年はエース第2センターフォーリフトが10人乗りのゴンドラに架け替えられ6分で山頂まで結ぶという。また輸送力もパワーアップしハードな部分はさらに発展していくのだろう。
時代と共に変化は必然だ。
いかに街並みが変化しようとも、人が多くなろうとも、雪質と地形は変わらない。
魅了し続ける町、ニセコ。
だから来年もこの地に訪れるのだろう。
協力:ニセコ東急 https://www.grand-hirafu.jp/winter/
ツアー実施:スノーバム http://www.snowbum.jp/