今作の『DP』で10作目を迎えた Dirty Pimpの中心メンバーであり、デザインのディレクションも務める34。バリエーション豊富なトリックと独自の世界観のあるスタイルでストリートシーンで絶大な存在感を放っている。また最近ではイラストレーターやデザイナーとしての活動の幅も広げ、その活躍は多岐に渡る。スノーボードとアート、これまでのことから今後の向き合い方まで、才能溢れる34の魅力に迫る。
Edit+Text: Rie Watanabe
*こちらの記事は、「STAY HOME」スペシャルコンテンツとして、FREERUN本誌 2020年2月号(1月27発売)掲載インタビュー記事を特別公開しています。
EXPRESS ON THE STREET
見て感じたものを自分なりに表現する
アウトプットとしてストリートは魅力的でした
-まずスノーボードをはじめたきっかけを教えて?
大学1年生のときに趣味で始めました。スノーボードやスケートボードというシーンに幼い頃から憧れがあったんですが、なんせ引っ込みがちの性格だったので周りにやる人もいなくて…。どう始めてよいのかわからず、憧れのまま終わっていたんです。大学に入学し友人から「夏休みにスノーボードできる場所があるから行かない?」って誘われて、めっちゃ行きたい!と即返答。地元の福岡に当時あったBIG AIR福岡へ行き、挑戦したらもうどハマりですよ(笑)。
-夏休みに施設で初トライというきっかけは珍しいね。その後どんなスノーボードライフを送っていたの?
当時、親と少し喧嘩してしまい家を出なきゃいけなくなり、突然一人暮らしをすることになってしまって…。せっかくならと思いBIG AIR福岡に徒歩で通える場所に引っ越しました。そして、すぐにレンタル付きの滑りたい放題パスのようなものをゲットして、スクールに入り週6で通いました。もちろんターンもできなかったので基礎から教わり、徐々にグラトリやポコジャンなどバーンでできるものにハマり出して、いろいろなトリックができるようになった頃になんとBOXが登場したんです。アイテムをやっている人たちを見てすぐに「あれやりたい! 」ってスクールのインストラクターにアピールしました。ただ、ちょっと高めのナローボックスだったので難しくて、たくさんアドバイスは頂いたものの、初めて入ったときになすがままに頭を打ちました。それが一発目のジブですね(笑)。
-それからジブにもどハマり?
はい。もっとやりたいと思って、映像をネットでたくさん調べ始めたらベアマウンテンのパーク映像が出てきて…。それを見たときにめっちゃカッコいい! と思い一気に憧れになりました。とにかくこのパークに行きたいと思い、パークというシーンに興味が湧きました。それからもBIG AIR福岡で練習を重ねて、定期的に開催される大会に出るのが生き甲斐になり、悔しい思いをしながらちょっと成長したり…、そんな時間がたまらなく好きでした。
-どっぷりハマったスノーボードだけど大学卒業後はスノーボードの道に?
もともと絵が好きで地元の造形大学に通っていたんです。就職を考える時期だったんですが、どうしてもスノーボードがやりたくて、親や先生にも就職しないことを伝えると、「好きで自分でやっていけることなら頑張りなさい」と背中を押してくれました。卒業後は一気にスノーボード中心の生活に変わり、山に籠もる生活もスタート。最初の頃はパークをメインにいろいろなゲレンデへ行きましたね。当時は室内でできることが山だとできなくて、それが悔しかったし、全然自分に自信が持てなかったんです。そんな状況だったけど、スポンサードしてもらえる環境を整えるため、たくさんのブランドに問い合わせて映像を送ったりしていました。最終的には今もスポンサードしてくれているCAPiTA 、DEELUXE、UNIONからスポンサードを受けることができ、ライダーとしての活動が本格的に始まりました。
-その後メインの活動となる『Dirty Pimp』との出会いって?
それはプロデューサーでもあるDPと出会ったことが大きいですね。私が定期的に出ていたBIG AIR福岡の大会に彼もよく出ていて、コミュニケーションを取るようになったら結構気が合ったんですよ。当時からYouTubeでハムエッグムービーというBIG AIR福岡のローカルたちにフォーカスした映像の配信など企画ものをやったりしていました。映像配信を始めてしばらくすると、DPが日本のビデオプロダクションの中で考える自分のオールスターで映像を作りたい! と思うようになって、自ら一人ひとりに声をかけメンバーを募り、第1作目となる『What’s Up !? 』をドロップ。私も1作目から出演し、10作目となる今作『DP』までがっつりと関わっています。
-1作目のときはまだパークライディングの方がメインだったと思うけど、その後ストリートの撮影をスタートさせるようになった理由は?
2作目からストリートの撮影が始まったんですが、実はまったくストリートに興味がなかったんです。危ない!怖い!! という恐怖心の方が大きくて…。私なんて石橋を叩きすぎて壊すタイプのビビリりなのに、自分の気持ちの準備もできていないまま、ストリート撮影の環境が先にきちゃったんです。そしてストリート撮影1年目に内臓損傷という大ケガを負いました。だから入院中は「このままやってていいのかな…」ってすごく悩みましたね。
-メンタルやスキルの壁に当たってからも続けた理由は?
本当は自分のやりたいトリックを出して魅せたいのに、アイテムに乗るだけで必死な状態だったんです。でもこればっかりは経験を積むしかなくて、私の場合はやめるという選択肢がなかったのでとにかく続けました。“継続は力なり” っていうのは本当で、経験を重ねるほど作品になったときの全体構成をイメージできるようになって、トリックやスタイルのバリエーションが増え、自分らしいライディングができるようになりました。それから、撮影との向き合い方も変わりました。前はどんなに怖くても逃げずにがむしゃらに入っていて、かなりストレスがかかっていたんですが、今はアプローチチェックを念入りにして、それでもイメージが湧かなければやめるという選択もできるようになりました。ストリートをやって10年。やっとここまでの精神状態に持っていくことができました。
-10年夢中で続けてきたストリートの魅力を教えて?
ひとことで言うのは難しいです。なんせしんどい!辛い部分が8割以上の撮影ですから…。ただ、なんでやっているのかって聞かれたら、私は何かを表現するのが好きで、それが私の場合は絵やスノーボードなんです。ストリートはアートに近いと思っていて、用意され整ったゲレンデにはないオリジナルの画っていうのがやっぱり魅力的だし、見て感じたものを自分なりに表現するのが好きな私にとって、アウトプットとしてストリートは魅力的でした。最初は自分の意思がなく、やらなきゃいけないっていう気持ちだったけど、今は自分の意思でやりたい!って思っています。もちろん怖いし、やりたくないときもあるけど、作品として残ったときのことを考えると葛藤した末にやろう!っていう気持ちになります。分かち合える仲間たちがいることも財産です。
-作品っていう形でも自分を表現しているけど、大会でも魅力を発揮しているよね!
ありがとうございます!コンペシーンも好きで、大会で頑張っているライダーたちも好きだし、自分もスケジュールなどが合えば積極的に出たいなって毎シーズン思っています。大会でもストリートの経験が活きて結果に繋がることはあると思っていて、アプローチのときに「このレールの感じはあのスポットの…」みたいに照らし合わせたりすることはよくあります。 昨年参加したオランダのデン・ハーグで開催された『ROCK A RAIL』もまさに街に特設されたストリートを連想するアイテムだったので、対応できた部分も大きかったです。
後編へ続く。
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今僕たちにできること。
次のシーズンに思いを馳せて「Reading for staying at home」。
34 MIYONより読者へメッセージ
「未曾有の状況の中、スノーボーダーの皆さんもシーズンが突然終わってしまったりオフの過ごし方が変わってしまった方も多いと思います。突然の環境変化と飛び交う様々な憶測や不透明な先の状況にどうしても気が滅入ってしまいがちだと思います。そういう時こそ何か前向きな思考を持つことが大事だと思うんですけど、今回は色々なことを見直す機会でもあるんじゃないかな思います。
個人的には、オフの過ごし方がガラッと変わってしまい少し不安はありますが、前からやりたかったことや将来の展望とかをじっくり考えることが出来そうです。安心してスノーボードが出来る環境が戻ってくる時を楽しみにして、オフトレやイメトレを続ければ前よりも良い状態で滑れるんじゃないかな〜と、とくに根拠もなく自分に期待しています(笑)。
ステイホームの過ごし方は元々たくさんあるんですけど、私は絵を描いたりギターを弾いたり本を読んだり天然石を眺めたり考え事をしたりしています。でもやっぱり、早くみんなでスノーボードがしたいですよね。なるべく早くこの事態が終息するように、気を抜かずにみんなでこの状況を乗り越えましょう!-34 MIYON」