<前編>では、どのようにして今のスタイルに辿りついたのか。また自身のこだわりやフィールドのルーツにまつわる話を聞いた。インタビュー後編は、シーズン中の活動やライフスタイルの話題にスポットを当てている。
*こちらの記事は、「STAY HOME」スペシャルコンテンツとして、FREERUN本誌 2019年12月号(11月27発売)掲載インタビュー記事を特別公開しています。
L A S T S E A S O N
「撮影でスノーボードに向き合える感じと映像を残すことが気持ち良かった」
-去シーズン(2019/2020)はどんな動きでスタートしたの?
2月までは新潟のスポットで1ヶ所狙ってるラインがあって。崩落地形の南斜面なんですけど、かなりスティープで地形もボッコボッコしてる長い斜面。新潟の2月は雪が死ぬのが早いけど、ちょっと上に登れば雪はいいから。ひとりでスプリットで登ってコンディションをチェックする日もあれば、良ければパウダーを滑ったりして、その斜面と向き合ってたましたね。タイミングでリョウくん(石坂 亮)と行くこともありました。モービルで行ったり、雪が悪い日はちょっと上までスプリットのトレーニングのために歩いて登ったり。スキー場に行くよりは常に山に入っていた方が感覚も冴えるから、シーズン前半は新潟の山を歩くことが多かったですね。
-シーズン後半は中井くんと北海道で撮影してたんだよね?その時のセッションはどうだった?
やっぱり中井くんと滑ってると色々な部分でアガるし、すごくやる気もでる。俺も久しぶりの撮影だったし、今まで撮影をそんなにガッツリやってこなかったから、そろそろ何か残さなきゃなって思ってて。今年は結構周りに求められてる感じで真面目に撮影に取り組んでた方だと思いますよ。今までよりは(笑)。
-PURE JAMの撮影雰囲気について聞かせて?
俺自身は久しぶりにムービーに出るっていうのもあって、気合入れて映像をしっかり残さなきゃなっていう気持ちがあったかな。撮影期間は短くて1ヶ月弱だったけど、ほぼ毎日山に上がってました。天気が悪い日も視界にあまり左右されない森の中でやるみたいな動きで、とりあえず山に行ったら少なくとも1日1カットは残すって自分の中で決めてた。撮影でスノーボードに向き合える感じと映像を残すってことがこんなに気持ちいいことなんだってことを改めて再認識できた。その日に撮った映像を見返して、カットが溜まっていくと自分なりに具体的なパートの中身を想像するようになったっすね。それも楽しくて。今まで以上にスノーボードに対してやる気になった。撮影中は1スポット見つけたら、みんなで交互にヒットする感じ。PURE JAMはセッションがテーマだけあって同じバイブスで撮影できたのが良かったっすね。中井くんはスケートもサーフィンもやるから、スタイルはちょっと違うけど同じ匂いを感じるところがあって。そういう近い人と撮影してると楽しいですよね。全部じゃないだろうけど見てる方向性が一緒なのが良かったのかな。
M Y L I F E S T Y L E
「スノーボード以外のライフスタイルでも自分を表現していきたい」
-ルイキはこの先、どんなライダーでいたいと思ってるの?結婚して子供ができてライフスタイルに何か変化はあった?
俺はライダーとしての契約が終わっても、一生横乗りをしたいと思う。乗れるまではボードの上には乗っていたくて。それを考えると何歳までライダーとしてやっていけるのかなって考えます。今は若いヤツも沢山出てきてるから、自分の今の状況が長く続くわけじゃないと思ってる。諦めてるわけじゃないけど、これからのことを考えてる部分はあって、以前は今のスノーボーディングで生活できればイイじゃんって思ってたんだけど…。今も正直そういたいとは思ってる。でも嫁さんも子供もいて独り身じゃないし、契約金の他に金を稼がないと生きていけないから。最近は子供のことも考えて貯金も必要だからオフシーズンに漁師の仕事をやってて。俺が住んでる静岡は、3月から1月中旬までシラス漁が盛んで水揚げされたシラスは静岡県の特産になってて。スノーボードだけ出来ても一生生活出来ないし、スノーボーダーだけどひとりのアーティストとしてスノーボード以外のライフスタイルでも自分を表現していきたいんですよね。すごい人って色々なことをやってて表現方法もたくさんあるじゃないですか。ギターを弾けたり、絵が描けたり、映像や写真を撮ったり。スノーボードはスポーツでもないしフリースタイルな世界なだけに色んな自分の個性を出せたら良いなと思うんですよね。ずっとスノーボードだけやってても詰まる時ってあるから。それに住んでるのが海の目の前だからオフシーズンは海を感じていたい。サーフィンはオフトレだと思ってるわけじゃないけど、違うところの筋肉も使うし、結局ヨコ乗りって体の軸が大事だから。身体作りもヨコ乗りもライフスタイルも、その全部のバランスが整って全てが上手くいくのかなって。
-スノーボード以外にも取り組めることがあるから、ルイキを見ているとライフスタイルが充実しているように見えるんだろうね。
冬は好きなことを好きなだけやらせてもらえてるけど、夏は夏でやりたいことが沢山あって。でもその中でメイクマネーしていかないといけない。そんな中、俺の周りには漁師がいっぱいいる環境で、その仕事の時間の流れとかスタイルも知ってたから、自分のライフスタイルにバッチリだと思った。朝の4~5時集合だったりするから普通の人からしたら早いっすよね。でも昼過ぎには仕事も終わって、夏だったら好きなスケートやサーフィンもできるし、家族と一緒にいる時間も増えて子供とも遊べる。たまに波が良かったら海に出かけちゃう時もあるけど(笑)。
漁師だけでも生きていけるんだけど、性格なのか自分で何かをやりたいって思いが膨らんできて、自分でフードトラックも始めたんですよ。意外と深く考えずに頭でパンパンって思い付いたんだけど、シラス丼屋をやろうって。前に漁で捕ったシラスをみんなにプレゼントで送ったら「めっちゃ美味いじゃん、このシラス」って言ってくれた。それなら自分でシラスを捕って加工も友達にやってもらって、静岡の特産品を全国の人たちに食べてもらいたいと思ったんですよね。でもいざ商売を始めようと思った時、いきなり店を持つのは無理で。キッチンカーにしようと思ったけど、これも想像以上に維持費が掛かる。俺の場合は冬に営業できないから車自体の維持費もネックで…。色々調べたら運転席と調理場が仕切られてれば車販売できるルールみたいで、それだったら今乗ってるトヨタハイラックスの荷台で商売ができるなって思いついたんですよ。20歳くらいの時に買ったピックアップトラックの荷台に乗せるトラックキャンパーは持ってたから、シラス丼の移動販売車に改造することを思いついて。でもしばらく使ってなかったから状態が悪くて、ひとりで空いた時間に直したり電気屋や水道屋の友達が手伝ってくれて、多い時は5 、6人とか集まってくれることもあって約5ヶ月かけて完成したんですよね。トラックキャンパーでキッチンカーをやってる人なんて日本にはほぼいないだろうし、どこ行っても「上手く作ったね」って言ってくれる。そのフードトラックの名前が “禅吉丸” で、チビが生まれたから子供の禅っていう名前と、ちょっと船っぽい名前にしたいと思って命名したんです。看板やメニューは全部嫁さんが書いてくれて、ほんと有り難いですよね。
-ルイキは静岡で生まれ育って今もオフシーズンは地元にいるわけだけど、スノーボーダーとして雪国に移住しようと思ったことはないの?
思ったことはありますよ。やっぱりスノーボードをするにあたって、山に居着くのも大事なことだと思うし。それこそ新潟には友達が沢山いて俺の第2の故郷だから、移住したいなって思った時期もある。でも海の近くで育ってやっぱり海が好きだから、海がないのも嫌だなって思って…地元には昔からの仲間もいるし、自分が育った場所を離れるのは大きな一歩になると思うけどすごく大変なことだとも思うし。でもまぁやっぱり地元が好きなんだろうな。静岡で生まれたから今の俺やライフスタイルがあると思うし、夏はサーフィンしたりスケートして楽しめてるから。それにオフシーズンに働いてメイクマネーすることも今は大事。俺って飽きっぽくて、例えばずっと波があってサーフィンばっかりしてると、「今日はまぁいいや」ってなっちゃうんですよ。だから、波があったり無かったり、スノーボードが出来たり出来なかったり、そんなオンオフがあった方が飽きずに続けて楽しめるんだと思いますね。
-スノーボードやオフシーズンの生活のことでもいいんだけど、最後に今後何かチャレンジしたいことや目標はある?
自分が楽しめるスノーボードを続けていきたいんだけど。ただ気持ちいいだけじゃなくて、エクストリームでスリルがあってアドレナリンが出るような斜面も攻めていきたい。これにゴールはないから、自分の中でこれだっていうものを突き詰めて、「これカッコ良いっしょ」って思うことを発信するのが目標ですかね。チャレンジしたいことは、子供を育てながらできることで、例えば釣りとか火の起こし方とか、俺らが普段自然の中で遊びながら感じてることを子供たちにも伝えられる環境を作れたらいいなって思う。そういう自然の中で遊ぶことって大事じゃないですか。色々な部分で子供たちが伸び伸びできる環境が近くにあれば子供も自然をリスペクトするように育つと思うから。それを仲間内ですぐに始めるのは難しいだろうけど、いつか「お前のじーちゃんこうだったんだぞ」って、自分がやってきたことや好きなことを子供から孫っていう未来に伝えていけたらいいなって思うよね。
増田塁揮 R u i k i M a s u d a
1991年3月29日生まれ。静岡県出身、牧之原市在住。幼少期の頃に新潟でスノーボードを始めると、個性的な価値観を持つ人間たちと繋がっていく。10代で日本のスノーボードシーンで頭角を現しはじめ、早々とARCTIC CHALLENGEやX-TRAIL JAMなどのビッグコンテストにも出場。VOLCOMのインターナショナルチームを経験し、スノー・サーフ・スケートと3Sカルチャーにどっぷりハマりながら自分のスタイルを追求。そのオリジナルスタイルは国内外のスノーボーダーたちから高くリスペクトされてきた。現在は漁師の仕事や、シラス丼を車で販売する事業をハンドリングしながら、オフシーズンは地元で妻と息子と愛犬と共に暮らす。冬は幼い頃から築き上げたネットワークを活かして日本各地の雪山へラインを刻みに出かける。
SPONSOR: VOLCOM, DRAGON, JONES SNOWBOARDS, NIXON, WILLOW, BROS, ヒカリ, ONEBALLJAY, 原田音響, OCB
Go My Way.
– R u i k i M a s u d a N T E R V I E W – END.
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次回のインタビューは、今年BURTON US OPEN 2020のスロープスタイル種目で見事優勝を果たした「角野友基」です。お楽しみに!