Go My Way. – 増田塁揮インタビュー <前編> -「出会ってきた人たちから教わったスノーボードの本質を感じて自分の道を行く」

幼い頃からシーンで揉まれ、まだ28歳ながら貫禄がある。人生の半分以上をスノーボードに捧げ、メインストリームとは距離を置きながらも自分のスタイルを磨いている Photo: Tsutomu Nakata

スノーボード全盛期、周囲の大人たちの影響で雪国に連れられスノーボードに出会ったひとりの少年。輝かしい大会成績があるわけでもなく、万人受けするようなことにも興味がない。なかなか自分の意見を曲げることのない己を貫くスタイルは、アンダーグラウンドヒーローとしてシーンを裏から支え続けてきた。人との繋がりやリアルなことを常に優先し、何よりもオリジナルなことにこだわる究極のフリースタイラー、増田塁揮の軌跡をここで紹介する。

*こちらの記事は、「STAY HOME」スペシャルコンテンツとして、FREERUN本誌 2019年12月号(11月27発売)掲載インタビュー記事を特別公開しています。


B O R N  T O  B E  R E A L  S N OW B O A R D E R

「熱い気持ちを持っている人たちの周りにいれば、自分もそのバイブスの色になっていくんだと思う」

-まずルイキの生い立ちについて聞きたいんだけど、静岡で生まれ育ってどういう経緯でスノーボードに出会ったの?
スノーボードを始めたのはBROSってお店が地元の静岡県牧之原の静波にあるんだけど、そこがスノー、サーフ、スケートをやってて。それこそバブルの頃なのかな、スノーボードが流行って景気が良かった頃に、新潟県の石打丸山の麓でスノー専門のお店をやってたんですよ。そこに知り合いや親戚が遊び行ってて、ちょこちょこ自分も遊びに連れてってもらうようになった。ちょうどその頃、スノーボードツアーでバスを貸し切ってやってたから、そのツアーに遊びがてら「お前も行くぞ」みたいな感じで連れて行ってもらったのがキッカケでスノーボードにハマっちゃったというか。すごくスピードも出るし、当時スケートもサーフィンもやったことがなくて、スノーボードが初だったんですよ。それが多分6~7歳の時で、小学校行ってるか行ってないかの頃。当時は今よりもクソガキだったから、周りから見て面白かったのか分からないけど、みんないじってくれて、俺もけっこうオチャラケ者で、何しても乗っちゃってアホやってたのを気に入ってくれたみたいで仲良くしてくれた。その頃は色んな人がツアーをやってたから、新潟、長野の他にも色んな場所に行ってました。それこそ新潟のBROS繋がりでナオヤくん(浜 直哉)とかとも巡り合って、色々連れ回してもらえるようになったり。だから俺のルーツはBROSから始まってるって感じですかね。

-それからはどんなスノーボード人生を?コンテストとかにも出ていたよね?
中学の頃はJSBAのユースクラスでハーフパイプの大会に出てた時もあって、俺らのクラスで言ったら熊崎圭人とか杉浦永介もいて、当時はユースの激戦区で東海地区はレベルが一番高いって言われてた。その後15 、16歳 の頃かな、ARCTIC CHALLENGEに2回くらい?いや3回くらい出たかな。中国にも行ったし、あとX-TRAIL JAMも、確かメーカー推薦で運良く出れた。俺スゲー運がいいんですよね、ほんと人に恵まれてるんです。色んな人たちが良くしてくれて、パッパッパーンって感じで良いフィールドに立たせてもらったというか。そういうのもヨコの繋がりだと思うんですよね。知り合いの人が紹介してくれるから間違いないというか、「この人が言ってるから大丈夫しょ」みたいな感じで、重鎮がやってる大会とかにも運良く出れたって感じだったんですよ。その頃はジャンプも好きでレールもカッコイイなって思ってて。ナオヤくんもやってたし、そこから意識がスロープスタイルの方向になったのかな。でも朝一からパークって感じよりは散々パウダー食いまくってギタギタになってから、昼過ぎにパークへ行ってジャンプやって、やっぱ面白いな、みたいな。で、朝から3時頃までやって帰る。それが中1くらいからだったかな。

-色々な繋がりで大きなコンテストにも出れるようになって、オリンピックは目指そうとはしなかったの?
パイプをやってた頃はオリンピックに出たいと思ったこともあったけど、確か中学の頃かな、テリエ(テリエ・ハーコンセン)が「スノーボードは国で争うものではない」みたいなことを言ってて、「うゎ、そ~いう考えもあるんだ」みたいな。確かにそうだよなって。スノーボードは争うものでもないし、バンクドスラロームとかスピードとか誰が見ても結果が目に見えるものは好きだけど、ジャッジが勝敗を決めるっていうのはあまり好きじゃなかった。それが全てに影響したわけじゃないけど、そこから色々考えが変わっていった。スノーボードって色んなスタイルがあるだろうし、自分の色を出していけばいいんだって。JSBAの大会も中2の頃には出なくなった。それに俺の周りには大会とかに出ない悪そうな年上も沢山いたから、そういう先輩たちの影響もあったっすよね。大会じゃないスノーボーディングも色々見てきたし、しかも先輩たちは楽しそうにやってて、こーいうスノーボードの方がカッケーなって。俺も小学生の頃からずっとやってたからコーチみたいな人もいて、アレやれコレやれとか、そーいうのもずっと続いて。もうヤダなって思ってた頃に、ナオヤくんとか新潟のBROS繋がりで出会った俺の師匠の十三(じゅうぞう)さんが拾ってくれたんですよ、というか一緒に遊ぶようになった。リフトで山頂まで行って、そっから尾根を歩いて滑ったり、そういうフィールドに連れてってもらうようになって。それまでそんなスノーボードをしてこなかったから、難しいしゴロゴロゴロってめっちゃ転げる時もあったけど、「これ最高だな」みたいな感覚になったんですよね。十三さんも厳しい人だったから怒る時は怒るけど、常に楽しませてくれた。その楽しみを知っちゃったら大会の為のスノーボードなんて、「ぜってぇやらね~」みたいな考えになっちゃったんですよね。VOLCOMがスポンサーしてくれてから、同じチームメイトになったヤットくん(吉野康人)とも中学2年くらいに知り合って、当時ヤットくんは今よりもオラオラで雰囲気あって喋り方も独特だったし、中学生ながらインパクト受けたんですよね、自分持ってるなぁみたいな。スノーボードも上手かったし、スタイルもあってカッコ良くって。こういうのでいいんだじゃないけど、カッコ良く楽しくスノーボードしようって。ほんと良い人たちと巡り逢えたから、やっぱりそこなんだと思う。結局、カッコ良く生きてる人たちの近くにいれば自然とそこが憧れになって、自分もその色になっていくんだと思う。

ベーシックなトリックは誰でもできる。しかしルイキのスタイルはアマチュアとプロの違いを教えてくれるものだ。それは自身のライフスタイルやこだわりから生まれる独特の個性なのかもしれない Photo: Gian


F L O W & O R I G I N A L  S T Y L E

「流れの中で無駄なくクリーンにあわせて滑りの気持ち良さを最大限に感じたい」

-自分を表現する場所が大会じゃなくなっていって、それからは何を意識してスノーボーディングをするようになっていったのかな?撮影とか?
ん~ 、その頃は別にムービーとかにも興味がないっていうか、作品を撮るってなったらそれなりにずっとそのクルーと一緒に動くことになるから、そういうのも真面目でクソだせーな、みたいな考えになっちゃってて。もうその頃はとりあえずスノーボードがめっちゃ面白かったし、一緒にいた人たちも「とりあえず山滑っとけば自然とスノーボードが上手くなるから」って言ってたし、その中で滑りにはフローな感じで流れが大切だって教えられてた。確かに、映像を見せられて凄いことやってるよりも軽く流したりしてる方が俺も好きで、なんかこう気張らずにパーンって軽くクルージングじゃないけど、そのスタイルがカッコイイって思ってて。それに好きなライダーもいなかったし、どいつがどうのこうのとかも考えなくて、別に誰でも良いじゃんみたいな。だからあのムービーに出たいとかも一切無かったし、それよりも滑ってたくて、ただ上手くなりたいって思ってた。自分からムービーに出たいってアタックするよりも、「俺のことを撮りたかったら、そっちから撮りに来て映像や雑誌に出してくれてもいいから」みたいな感じ。しかも出てるライダーのメンツによっては、このムービーには出たくないっていうのもあって。だいぶ偉そうな考えかもしれないけど、何ていうんだろう?常に自分のこだわりはあった。スポンサーを選んできたのも自分がカッコ良いって思えるブランドと契約したかったから。だから今までダサいブランドのスポンサーをつけたことはないし、それは今も同じ考えかな。

-ルイキのスノーボードに対しての一番のこだわりって何?
フローさですかね。う~ん何て言うんだろ、気張り過ぎず流れるような感じでスノーボードを操る。やっぱり、スケートもしてるからっていうのもあるけど、当てるところだったりラインだったり。スノーボードだけしかやってない人とも違うと思うし、サーフィンをやり始めてラインの取り方も変わったかな。ラインって十人十色じゃないですか。ひとつのことしかやってなければそこしか見えてないだろうし、俺の場合は常に人と違うことを流れの中でしたいっていうのがあって。それに、何をするにしても「カッコ良さは負けないよ」じゃないけど、自分なりのオリジナルな感じで個性を出したい。それは色んな意味でライン取りやジャンプだったり、全てにおいて無駄なくクリーンに合わせる感じかな。昔はイケイケだったから、とにかく飛べばいいって思ってたけど、もう28歳になったから体にも負担がかかるわけじゃないですか。だから負荷の無いように気持ち良く滑るみたいな、色々な意味でもうちょっと考えるスノーボードになった。でも、“フローとオリジナル” っていうスタイルだけは変わらないし、その中で自分なりのライン取りやライディングの気持ち良さを最大限に感じることかな。まぁ誰かが見て気持ち良さそうじゃなくても、自分が気持ち良ければそれでいいんですけどね。人に何て言われようが、自分がこれだと思ったらそれをやりたいだけなのかな。

-なるほどね。だからルイキの滑りは見ている人を惹きつけるんだろうね。ちなみにその感覚や自分のスタイルはどうやって身についたんだと思う?
やっぱり滑り込んで身につくものじゃないですかね。俺の場合は、アレはカッコイイ、アレはダサいっていうのが自分の中で白黒パチーンってしてたから。アレはもう絶対無いわって思ったら、その人と話しをしたくなくなるくらいで、今は当時よりマシになったけど昔は酷かった。逆に、こういうのがカッコ良いんだとか、􏘩この人􏘪 だって自分が認めた人の意見は絶対に間違いないって思ってる。そういう人たちと繋がることで、スノーボードは勝ち負けの世界じゃないっていう明確な答えが出て。それよりもターンとかジャンプにしても、気持ち良さとカッコ良さを追求するようになったし、スケートやサーフィンも同じように意識するようになった。“自分のスタイル” ってライフスタイルも影響すると思うんですよね。身なりとかにもその人のスタイルが出るじゃないですか。上手いヤツは沢山いるけどオリジナリティがあるヤツがいないというか、めちゃくちゃカッコ良い人ってあまりメディアでフィーチャーされてない気がするんですよね。本当にカッコ良い人はSNSみたいな豆ったいこともしなくて、「俺はただ自分がやりたいことを追求してるだけだから」みたいな。コアな人ほど自分を追求して、周りはアウトオブ眼中で、そういう人が自分のスタイルを確立していくんだと思う。

北海道の極上パウダーラインをまるで水の流れのように自然と調和しながら駆け抜けていったルイキ。無駄な力が入っていないナチュラルでフォトジェニックなスタイを求めてフォトグラファーが彼の元へ集まる Photo: Gian

 

N A T U R A L  F I E L D

「ラインを繋いで気持ちよく滑るよりも、そのラインで自分と向き合う」

-裏山に入ってフリーライディングの世界に興味を持つようになったのはいつ頃から?
16~17歳くらいの時だったかな。俺、高校は行ってなくて、親に高校行かないんだったら家出ろって言われて、それで家を出たんですよ。それこそ十三さんの所でテキ屋やってタコ焼き売ってたり、新潟だったから米農家でバイトさせてもらったりして、六日町あたりで働きながら南魚沼の十三さんの家に住まわせてもらってた。そのあたりから滑りたいフィールドがゲレンデから山に変わっていったんですよね。当時、それまでフリーライディングのブームでもなかった頃から十三さんと仲間たちが魚沼エリアの山を攻めてたのって、誰よりも早かったんじゃないですかね、10年ぐらい前にそれをやってたんだからすごいですよね。俺らは今だにそのスポットを狙ってますからね。ちょうどそのあたりからサーフィンもやり始めたんですよ。サーフィンは同じ波はないし、砂の地形とかで波の割れ方も違って、やりたいことがなかなかできなかったりするんですけど。それって完全に自然相手だからで、風の吹き方やウネリの向きや波の周期とかによって全然コンディションが違うから。山もそうじゃないですか、西風が強めに吹いたら東面に雪がついたり、雪崩があったり。だけど、めちゃくちゃ深くて面白い。山のライン取りとか今だに全然分かってないことだらけで。なんかあった時に自信を持って救護できるかって言ったらまだそこまでのレベルでもない。でも山に入ってる以上、人の命を救えるくらいの責任感を持ってやりたいから、今28歳だけどもっと勉強して山のプロフェッショナルじゃないけど、自分ひとりで行っても帰ってこられるくらいの経験と知識を持ちたいと思ってるんです。山の表情や雪も日々違うから、やっぱ怖い気持ちもある。でもそういう場面でアドレナリンが出るんですよね。それに信頼できる仲間だけで山を貸し切れる感じも好きで、その時にピュアな気持ちでスノーボードができるから、その感覚が好きなんですよね。

スノーボード人生の中でも思い出深い新潟。師匠である十三さんが10年程前に滑っていた斜面に、リスペクトを込めて成長した姿を見せるべくラインを刻むルイキ Photo: ONOZUKA AKIRA

-山の中でもルイキはただターンで繋ぐだけのラインではなく、フリースタイル要素のジャンプやアクションを入れたいと思ってる?
ひとつのラインでもどこか一発ジャンプで飛びたいって思ってますね。ターンで繋いで気持ち良く滑るラインもいいんだけど、「あそこ飛んだらどうなるんだろう」っていうワクワク感とか、ヤバそうだなっていう恐怖心も好きなんですよね。そんな際どいスポットをバコーンって飛んでメイクしたら、その一本のラインが格別になって気持ち良さが倍増するみたいな。後ろを振り返って自分のラインを見て「結構ヤベーの飛んだな」じゃないけど、自己満足とか優越感っていうんですかね、それに浸るというか。もうその日なんて最高ですよね。帰りの車の運転中とか寝る前に思い返しちゃったり、誰かに電話で「今日あそこのアレやってきたよ」みたいな自慢したり。ただラインを繋いで気持ちよく滑るっていうよりも、やっぱり常にトライはしていきたいじゃないですか。無謀な挑戦はしたくないけど、ある程度自分を磨くためにも楽をしてちゃダメだと思うから。なんかそういう場面でアドレナリンが出て恐怖心を克服したら、次はあそこへ行けたみたいな。結構ヒヤヒヤな時もあるけど、行けたことだけで自信がついて自分がレベルアップして、また違うスポットを攻める。そしたら見え方もどんどん変わってくるから。その中で誰も行きそうにないセクションを狙ったりして、「そこ行ってそのラインか!?」とか、「そのラインいいね~」みたいな。その辺のセッション感も面白い。山には色んなラインがあってゴールはないからやってて面白いしやめられないかな。

-ルイキが新潟で経験を積んでいって、次に注目したエリアはどこ?
十三さんがダウンヒルで頭を打って亡くなっちゃって、そっからちょっと離れたというか、「やっぱあの人がいなきゃ面白くないな」みたいな感じの時期があって、途方に暮れるようなバイブスの時もあったんですよ。そんな時に北海道のニセコに行ったんですよね。そしたらちょうど撮影でヤットくんたちがいて、ステイ先もスゲーウェルカムな感じで迎えてくれたからそこに居着いちゃって。2~3シーズンくらい一緒に滑ってもらってる間にヤットくんたちがスノーモービルを始めてて。その前に俺もカナダでボロいモービルを一台買ってやってたからある程度は乗れる自信があったし、日本でモービルを使ってスノーボードをしたいと思ってたから、俺も日本でモービルをゲットして、何シーズンか一緒に北海道を色々動いてたんですよ。
その後が長野ですね。ヨネくん(YoneFilm)がスノーボードムービーの「LIVE NATURALY」を作ってて、マーシーくん(仁科正史)もVOLCOMのライダーになって、一緒にセッションするようになって。なんか巡り合わせですよね。色んなところで撮影しようって。マーシーくんとか吾郎さん(小松)とかヨネくんとか、あの辺りのマストな人たちに良くしてもらえるようになって、撮影にも誘ってくれるようになって。誘われたらチャンスだと思ってるから断らずに、白馬近郊をベースにしてガッチリ2シーズンくらい通ってましたね。その頃も新潟が良ければ行ってたし、北海道もチョコチョコ行ったり色々転々としてたかな。1つの場所にこだわらずに、いい雪があるところに人の繋がりで行ってた感じです。

同じVOLCOMとJONESのチームライダーである仁科正史と、白馬の山でセッションした日の1カット。ともにオリジナルスタイルを持つ個性的なスノーボーダー Photo: Tsutomu Nakata
白馬エリアにはスティープな斜面を狙いに訪れる。この写真は昨シーズン、USスノーメディアであるfrequencyのグラビアページを飾った Photo: Tsutomu Endo

-各地で色んな人と繋がっていったんだね。その中でルイキが一番好きなエリアとか斜面はどことかあったりする?
新潟の南魚沼エリアは自分のルーツというか昔から育ってきたっていうのもあるし、白馬はスティープなところがあってまだまだ行きたいところもいっぱいある。北海道はとにかく雪がちょ~深くて良くて常にパウダー滑れるし、今年は中井くん(中井孝治)にスゲー良いところ連れてってもらえた。だから俺にとって大事なエリアは1つには絞れないかな。やっぱりそれぞれのエリアに良い斜面はあるし、色んな場所で一緒に滑りたい人がいるから。そういう人たちと各地でセッションできるのが楽しくて。新潟、長野、北海道は俺の中ではどこも外せない場所。これからもずっと通うエリアだと思う。

後編へ続く。

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今僕たちにできること。
次のシーズンに思いを馳せて「Reading for staying at home」。

増田塁揮より読者へメッセージ
「今、世の中がとてつもなく大変なことになっている。こんな言い方はしたくないけど、明るい未来が待っているようには思えない。でもこれは人間が犯してきた過ちだと思うしかないのかなと感じている。色々なシステムが、個人の欲望の為に複雑に進化しすぎてきていると思う。無くても良いもの、困らないものが、金儲けの為に次々と製造、生産されすぎている。必要なことや不必要なことが改めて浮き彫りになっている今。このパンデミックによって、個人主義の為に作られたシステムが崩壊の方向に向かっているから、これを機にそれらのことをポジティブに捉えながら、必要、不必要をもっと確かめてシンプルな生活にしていくことが大事なんだと思う。-増田塁揮