そこにはスノーボードの歴史を立証する伝説の板がならぶ

先日、moss snowboards、moss snowstickでおなじみのパイオニアモスのオフィスを訪問した。昨年オフィスを移転し、移転後は今回初めての訪問。そのオフィスの入り口を入って階段を上がると、思わず目を輝かせて足を止めて見入ってしまう空間が広がった。

スノーボーダーなら思わず見入ってしまう

階段の壁面にはmoss snowboards創世記の歴史を物語る初期モデルの数々が壁面に展示され、まるでミュージアム状態。これをご覧の方の中にも知らない方がいるかもしれないので少し説明を付記すると、パイオニアモスの社長である田沼進三氏はスノーボードの創世記において非常に重要な関わりを持つ人だ。1971年、サーフィンの主流がロングボードからショートボードに移り変わってきた時期、田沼氏はスキー場にサーフボードを持ち込んで雪の上を滑るという試みの後、スノーボードの原型づくりをスタート。目の前に広がる自然、その自然と共存しつつ、充実したライフスタイルをおくるための大切な道具としてのスノーボード。雪山でいかに楽しく、素晴らしい瞬間を体感することができるか。その情熱が田沼氏の開発に向ける原動力となり、FRPを使っての初期のスノーボードづくりは様々なアイディアが導入され、進化し続けてきたのだ。
1977年、製品として登場した「SNOW SURFIN」は、雪上でサーフィンのような動きを楽しむために当時のクロスカントリー用スキーのビンディングで足を固定し、テールにはスリットを設けてターンしやすいように加工されている。

1977年、SNOW SURFING プロトタイプ2号機

この創世記のボードを見ているとアウトライン、デッキ、ソールといいったボード全体の形状だけでなく、バインディングをどのように取り付けるのかという試行錯誤も進みつつ、サーフィンとスキーのテクノロジーが融合していく様子がとても興味深い。FRPからウッド、そして滑走面材、エッジ、1本1本の試作ボードが様々な試行錯誤の足跡を物語る。

スノーボードに向ける情熱が様々なカタチのボードを生み出してきた

そしてその時代のボードがなぜか今の時代のスノーボードとしっかりクロスオーバーして見えてくる。特に1983年に発売されたV1は2007年にmoss snowstickのU4として復刻。取り回しの良さを求めてつくられたショートテールのカタチは、現在もU4として継続されているようにスノーボードという遊びが三次元的な動きで、パウダーに限らず、壁やフラットバーンやデコボコやどんなところでも楽しく滑って遊ぶということを可能にする。まさにスノーボードの楽しさのルーツとも言えるような滑りをその試行錯誤の繰り返しで見出してきていたということを示す。

2007年にV1の復刻として登場したmoss snowstick U4

1984年に製造されている「V-2」にはパラレルのスライドレールが付き、そのレールにビスが内蔵。スタンス角度調整スライドレールというアイディアもすでにこの時代で田沼氏によって生み出されていたのだと驚かされる。
現在はmoss snowboards、moss snowstickなど様々な高性能スノーボードを作り続けているパイオニアモス社。スノーボードという今やウインタースポーツの定番といえるポジションにまで成長したものを作り上げてきた名実ともにパイオニアブランドでありながらも、モノづくりにかけるこだわりは、かつて田沼氏が歩みだしたその道と今も変わることはない。

1984年「V-2」のスタンス角度調整スライドレール
左からV1、V2、V3

ボードづくりでは細かなパーツまでこだわり続け、少しでもいいモノをつくるためにいい素材を使い、加工にもこだわっているという。それがパイオニアモスという会社が生み出すスノーボードの最大の魅力。
いつか、この歴史を物語るスノーボードをみなさんにも詳しく紹介する記事もつくってみたいと思う。

正面だけでなく、サーフボードのようにボトム面側にも様々な改良の変遷がある。ボトム形状確認用のために試作されたボードたち
神奈川県藤沢市にあるパイオニアモス本社

moss snowboards BRAND PAGE