北極圏にほど近いスウェーデン。白樺と針葉樹の森が続くこの地で、DEATH LABELチームは仲間たちと“遊び”の原点を再確認した。Snowboy Productionsによる「Days of Thunder」に日本チームとして参加し、ホストを務めたローカルのPJや、アメリカからアンドリュー、そして90年代のレジェンド ヨハン・オロフソンたちと交わる。少雪と硬い雪、爆風とオーロラとビール。すべてが自然と人との対話であり、思いどおりにいかない日々さえ“旅の一部”として心に刻まれた。(記事の前半はこちら)イベントの余韻を胸に、国境の山リクスグレンセンへ。インゲマー・バックマンやクレイグ・ケリーが滑った聖地で、仲間と一本を共有する。その瞬間、遠く離れた日本で始まったDEATH LABELの物語が、北極圏の風と重なり合い雪と人が繋ぐスノーボードジャーナル。
Text: Yuji “Ton” Azuma(東 裕二)
Photo: Ton & Okawa
Special Thanks: DEATH LABEL, Snowboy Productions
国境の山リクスグレンセンで刻む北極圏の時間。風とオーロラと仲間が導く“また来たい”理由


イベントの喧騒が引き、ゲレンデが静けさを取り戻す。アンドリューと遠い北で合流して一緒に滑れたことは、いま思えば奇跡に近い、ありがとう! そして、僕・大川さん・PJ・ヨハン・ヨハンの相棒・オズマンの一行は、第二幕の目的地リクスグレンセンへと車列を組んだ。インゲマー・バックマンのクォーター、ピーター・ライン、クレイグ・ケリー……多くの名場面が刻まれた“北の遊び場”。モービル2台とテント&小屋を牽くトレーラーも頼もしい装備だ。途中の鉱山の街では、廃屋と真新しい家が混ざり合って点在する。ヨハンは言う。「街はストレスが多い。田舎にはそれがない」。お金が潤いをもたらす一方で、心は自然を求める。そんなバランス感覚が、この国の雪文化の底にある。


スーパーで買い出しをしてランチはまたバーガー。オズマンは迷わず“2個セット”。よく食べ、よく飲み、よく笑う。車を乗り換えて彼と話すと、日本のパウダーに惚れ込んで何度も来ていること、現地で世話になった日本のスノーボーダーへの恩返しの気持ちで今回の旅に合流したことが分かった。ノリと誠実さ、そのどちらも本物だ。夕刻、リクスグレンセン着。


僕らはゲレンデ前のロッジ、ヨハン組はホテル近くの風を避けられる場所にキャンプ、オズマンは「着いてから宿を取る」で本当に部屋を押さえる。迷路のようなホテルを探索し、レストランでミートボールかピザの二択に笑い、明日の作戦会議へ。PJが言う。「ここは国境。ノルウェーもすぐそこだ」。
夜、僕・PJ・大川さん・オズマンは車で国境を越え、フィヨルドの街へ。暗闇の上り坂を抜けた先で、港町の灯りが水面に滲む。ローカルバーを数軒巡り、景色を写真に収めているとSNSに一通のメッセージが。「Welcome home, brother」。送り主はテリエ・ハーコンセン。ノルウェーに入ったその瞬間に届いた“ようこそ!”は、雪が結ぶ縁の温度を確かめさせてくれた。日付が変わる頃にホテルへ戻る。運転はもちろん下戸のPJ。体に沁みていた時差が、この夜にようやく抜けた。

4月8日。窓を開けると爆風。風速は体感で15mクラス。日本なら即クローズだが、ここは一部リフトが動いたり止まったりを繰り返す不思議な運営。結局この日は歩きで偵察へ。向かい風に身体を前に倒しながら、PJが指さす。「あれがインゲマーのクォーター、こっちがピーター・ラインのウォール」。映像で見た地形が現実のスケールを伴って現れ、風の抜けや雪の溜まりが“身体の地図”に書き込まれていく。

夕方、ヨハンから「キャンプに来い」と連絡。ベースで待っていると、雪煙の中からモービルの灯りが二つ近づく。大岩の風下に張られたテントの中は日本製の石油ストーブで半袖の温度。小屋のストーブではフライパンでスパイスの効いたタコス風ディナー、外は爆風、頭上には三度目のオーロラ。遠方にはホテルから人工の「RIKSGRÄNSEN」ライトのサインと自然の緑の揺らぎが一枚のキャンバスに重なり、非日常が生活の延長に溶けた瞬間だった。帰路、ほろ酔いのヨハンがモービルでまさかの転倒。笑いと心配が入り混じるなか、オズマンが無駄のないターンでUターンを決め、「任せろ!」と先導。暗闇のライトの道筋が、この旅の“絆”のかたちに見えた。




4月9日。朝からゲレンデはクローズ。開くかどうかも分からない。けれど「しゃあない、自然の遊びだ」と誰も焦らない。僕らの合言葉は“無理せず無事に帰るのが目標”。昼前に晴れ間がのぞき、ヨハンから「今日はハイクだ!」。バックカントリー装備に切り替え、前日に歩いた尾根を超えて風下の緩斜面を探る。強風の影響で、昨日は無かった2m級の吹き溜まりができていた。自然は一晩で景色を変える。1時間ほど登って一本。下地はカリカリ、その上に薄く載る雪。10cm積もっているかどうか。僕と大川さんは“ワンライド狙い”、ヨハンはノーバインディングの“いかれた”スプリットで歩を進めたが、さすがに今日は厳しい。野生のトナカイに出会い、体に“良い疲れ”を溜めて撤収。17時にホテル着、久々のジャグジーで体をほどく。窓の外、前夜モービルで走った谷と岩の位置関係が、頭の中の地図とカチッとはまる。




4月10日。今日もモービルで遠征はできない。風には勝てない。残念だけど、それもまた自然のリズムだ。ヨハンたちはこの日で帰路へ。急な別れが胸にくる。スーパーレジェンドなのに、誰より温かくフラット。日本かスウェーデンか、また会おう!そう約束してハグ。気持ちを切り替え、僕・大川さん・PJはゲレンデへ。オズマンは次の仕事で南半球へ移動の段取り、ところが道路が暴風雪でクローズ。「開くまで待つ、君らは滑ってこい」。最後に力強いハグ。10時、ついに待望のオープン。フラットライトで地形は読みづらい。けれど知らない山というだけで楽しい。山上の売店で遅めのランチを取り、再び外へ出ると、外回りコースは天候悪化でじわじわクローズ。ガスが出れば帰り道が怖い。ここでローカルのPJの判断が冴える。安全サイドに舵を切り、中央のメインリフトへ戻る。
「クレイグ・ケリーの慰霊碑に挨拶しよう」。PJの提案で、メインリフトを降りて前日歩いた場所のさらに上部へ。1時間ほどハイクしたが、碑は見つからなかった。あとで調べると、自然災害で失われてしまったのだという。残念。でも、だいたいの場所まで来られた。風が抜ける稜線で心の中から敬意と感謝を伝える。そこから前日よりも大きな斜面を一本。硬い下地に薄い新雪。スピードを殺しつつ、“ここで滑った”という実感がようやく足裏に宿った。無理はしない。できることを楽しんでホテルへ戻る。





4月11日。最終日。薄曇りの朝、リフトは動いている。荷造りを済ませ、滑走は15時まで。15時30分の夜行列車でストックホルムへ戻る予定だ。長いTバーは“落ちたら振り出し”だから集中力が要る。曇り空の隙間から一筋の光、気づけば一気にピーカンへ。これはご褒美だ。昨日までの偵察が効いて、雪が溜まる面は“鼻”で分かる。ノンストップ1時間のハイクで狙いの壁へ。パウダーは深くないがクリーミーで、日本の春のシャウダーのようにターン後半で板がスッと抜ける。稜線に立つと、あそこもここもと滑りたい面が無限に広がる。けれど時計は15時。名残は尽きないが、ここは“やり切る”より“また来る”が似合う山だ。
この山は視界が落ちれば方角を失い、自然のホールも潜む。毎年、事故の話も聞く。だからこそ、ローカルの読みとチームの判断が命綱になる。ゲレンデの9割はスキー、スノーボーダーは少ない。ショップは多くなく、ローカルはモービルで好きな斜面へ。過剰なものは何もないのに、必要なものは揃っている。サウナ、キッチン、キャッシュレス、ほどよい距離感のコミュニティ。フェアに生きる、という空気が満ちている。




夜、僕たちはストックホルム行きの夜行列車に乗り込んだ。三人で眠るには十分なスペース、温め直したミートボール、車窓に流れる北の景色。ヨハンの笑顔、オズマンの「任せろ」、PJの静かな導きが脳裏に浮かんで、胸の奥があたたかい。最後に、PJが真顔で言ったことを記しておきたい。「日本もスウェーデンも、温暖化の影響はもう避けられない。だから俺たち一人ひとりが少しでも意識しよう」。この旅は、“風を読む”だけでなく“時代を読む”ことも教えてくれた。
雪が遠い未来で消えないように。またこの空の下で会えるように。僕らは次に会う約束をし、北極圏の夜をゆっくり南へ運ばれていった。



最後に。この場所を薦めたいのは、天気を“相手”にできる人。パウダー保証より、風と地形を読む日を楽しめる人。硬い雪でも足元をチューニングでき、サウナや外気浴、仲間との語らいを“滑走の一部”と感じられる人。そして、旅を共にする仲間を信じられる人。そういう人にこそ、この北極圏の数日は深く刻まれるだろう。
オーロラは三度現れた。テリエからのメッセージは、国境を越えた夜に届き、ヨハンの笑顔はどんな天候でもブレなかった。オズマンの“任せろ”には安心があり、PJの“また一緒に”には温度があった。そして、何よりもこの旅に導いてくれたDEATH LABELのみんなに感謝したい。
夜行列車の窓に映る自分の顔は疲れているのに、心は軽い。自然も仲間も気まぐれだけど、その不確かさごと愛おしい。次の冬、また北極圏か日本の空の下で、この旅の続きを楽しもう。
END.








