日本代表として國武大晃はオリンピックのスタート台に立っていた。大勢の観客、世界に発信される無数のカメラ、大きな注目を集める中、彼は冷静さを失うことなく緊張さえもしていなかった。そして彼はこう思っていた。「ここからがほんとの勝負。オリンピックは出るのが目標じゃなくメダルを取りに行く」。しかし、平昌五輪では悔しさが残る結果となってしまった。15歳で初出場をはたした今回のオリンピックでは、世界との差に気づかされた。それは彼の中にとてつもない財産として今も残っている。
この記事では、國武自身が平昌で得た貴重な経験と、これからの視点を本人の言葉で伝えていく。そして自身の活動をサポートするESTIVOのウエアについても話を聞いた。
14歳で日本王者。15歳で挑んだ初の五輪
父の影響で3歳ではじめたスノーボード。物心ついた頃にはすでに雪山を颯爽と滑っていた。愛知県出身ということもあり、決して環境に恵まれてはいなかったが、近隣の室内ゲレンデや、冬の週末には父の運転する車で新潟や岐阜のスキー場に3時間かけて通い技術を磨いた。着実に成長を続けていった國武は、ゲレンデ遊びから大会出場へと当面の目標が定まっていく。
「大会で自分の技術がどこまで通じるのか確かめたくなって、最初はクロスの大会に出場していました。父と撮影した映像を分析しながら話しあって、出場した大会では常に優勝を目指しました。はじめて表彰台に立ったときは本当にうれしかったです。その後、フリースタイルのスロープスタイルに興味が湧いてきました。スロープはジャンプやジブなど、複合的なセクションを自分のスタイルで流すことができるので、純粋に楽しかったんです」
そして、國武大晃の名が全国区に知れ渡る日がくる。2016年・冬、岐阜県鷲ヶ岳スキー場。14歳になった彼は、JSBA全日本スノーボード選手権スロープスタイル種目に出場していた。周りを見渡せばほとんどが年上、地区大会を勝ち上がった80名以上の猛者ぞろいだ。その中でも臆することなくしっかりと自分の滑りを出し切り日本の頂点に立ったのだ。スノーボードをはじめてまだ10年足らず、中学生の快挙であった。
その後は破竹の勢いで国内外の大会でリザルトを残していく。人生初となる世界大会のCARDRONA GAMES 2016では、スロープスタイルで堂々の2位。翌シーズンの、REVOLUTION TOUR、TOTAL FIGHTで優勝。2018年1月にアメリカで開催された平昌直前のワールドカップではスロープスタイルで2位という結果を残すと、五輪のスロープスタイル、ビッグエアー2種目の代表切符を手に掴んだ。わずか15歳で挑んだ初の五輪。ここでの経験を國武はこう語った。
「平昌では、風の影響に苦戦して自分の滑りが全然できませんでした。でもこのコンディションの中で、上手いライダーは風の影響を考えながら、技のレベルを抑えてでもメダルを取れるように調整していたのはすごいと思いました。この五輪でいちばん学んだことは自分の経験の浅さです。ワールドカップなど国内外の大会には出場していましたけど、さらなる経験の積み重ねが必要だと感じました。それは、世界中のトップライダーたちがインビテーションされるUS OPENやX-GAMESなど、知名度のあるビッグコンテストへの出場経験です。こういった大会へ常連で出場しているライダーたちは、五輪の舞台で、たとえ公開練習でミスをしても予選や決勝ではしっかりと結果を残していました。大舞台での経験が今の自分にはまだまだ足りてない。そのためにもこれからも貪欲にスノーボードと向き合っていくつもりです」
▼Hiroaki Kunitake 2017/18 season edit
「なるべく自分の色々な滑りを表現したかった」と國武本人が語るように、まさにフリースタイル・スノーボーディングを体現するシーズンエディットがこれだ。
進化し続けるトリックの中で、自分ができること
華やかな祭典は終わり、この夏、國武はニュージーランドのスキー場にいた。ニュージーは、五輪後の少しばかりのオフで休めた身体を再びトップレベルの状態に戻すための基礎作りの場でもあった。それでも、現地で開催されたFISワールドカップ・ビッグエアの大会で入賞を果たしたのは流石だ。
「ニュージーでは1ヵ月ほど滞在して大会にも出場しながら、冬に向けての基礎作りをしていました。この後、スイスに移動して技の完成度を高めていき、これから各国で開催されるワールドカップに照準をあわせていきます」
技の進化は年々高まっている。大会で優勝するには並大抵のスキルでは敵わない。國武は、これ以上の技の進化は望まないと笑いながら話してくれたが、それでも先を見据えた動きをしなければ希望とする結果は望めない。
「正直、もうクワッドコーク以上のトリックは出さないでほしいですよね。でも大会では高回転をやらないと勝てない。実は昨年のスイス・サースフェーでの練習で、BSクワッドコーク1980まで回すことができるようになってきてて。でも着地で転んでしまったんで、これから行くスイス合宿で再チャレンジしたいと思ってるんです。イメージは結構できてきてて、キッカーが大きければメイクできる気がしています。まだ誰もクリーンメイクしていないこの技や、その先のフロント(FSクワッドコーク1980)にもチャレンジしていきたいと思っています」
これだけトリックが進化する中で、いかに自分の持ち味を出していけるか。一つのミスも許されず、ささいな失敗が順位に大きく影響を与え、大怪我のリスクもでてくる世界だ。その中で競合ライダーたちと戦う國武には、もうひとつ大事にしていることがあるという。
「スロープスタイルでは、流れの中でクリエイティブさを表現できたらいいなと思うんです。ジャンプもジブも、今はみんなと同じことをやってても点数はでないっていうのが結構あって。ひとつのアイテムに何通りものアプローチができるアイディアを持っているかどうかが勝敗を左右すると思っています。コースをしっかりチェックして情報を短時間に整理して、よりクリエイティブな発想で滑りきる。それもスロープスタイルのひとつの面白さじゃないかなと思ってるんです」
勢いだけで勝てる時代は終わり、これからは高次元のトリックの中に自分らしさをどう表現していくかが鍵となる。いよいよ本格的に次の北京五輪に向けての挑戦が始まった。ニュージーを皮切りに今期も世界各地の大会を転戦するという國武は、日本と海外を行き来する多忙なスケジュールが詰まっている。そんな彼が、世界を相手に身にまとって勝負するスノーウエアは、昨シーズンよりサポートを受けているESTIVO。ニュージーでもこのブランドのお気に入りのウエアを着こなしゲレンデを縦横無尽に滑っていた。
ESTIVO REVOstyleを身にまとい飛躍する
幅広い層から高い評価を得ているドメスティックウエアブランドのESTIVO。昨シーズンよりこのブランドが自信を持って提案している新たなシリーズが「REVOstyle」。彼のポートレイト、滑りの写真からも分る通り一見普通のアパレルに見えるのだが、実際はゲレンデで快適なスノー・ライフをサポートする素材とスタイルが詰めこまれたウエアなのだ。
「最初は半信半疑だったんですけど、一度着てみたらすぐに気に入りました。見た目も良くストレッチ効果もあって、かさ張ることがなくてとても動きやすいんです。僕はインナーにアンダーウエアとTシャツを着て、その上にREVOstyleの3枚重ね着スタイルが定番です。このパーカーには撥水加工が施されているので濡れることもないし、裏地にはフリース生地が重ねられているので暖かさも十分です。一見これだけだと寒そうに見えますけど、その心配もありません。真冬のニュージーでもまったく問題なかったですね」
今期、ESTIVOのREVOstyleには、MA-1風のジャケット、コーチジャケット、そしてパーカーなど数多くのアイテムが発表された。しかも初年度の機能をさらにアップデートさせ、よりハイスペックな機能を搭載している。アフタースノーやタウンユースでもそのまま愛用できるのは嬉しい限りだ。國武に普段の着こなしについてさらに聞いてみる。
「とくに好きなのはパーカーとコーチジャケットです。多少の降雪、悪天候ならこの一着で問題ありません。それに、オフスノーのスケートの時にもそのまま着れるのがいいですよね。ポケットにファスナーもあるので、携帯とかが落ちないのも便利です。もちろん大雪や極寒地の時は普通のウエアも着ます。自分はインパクトがありつつも渋めの上下迷彩柄であわせたりします。パンツはビブパンツを履くことが多いかも。ESTIVOのウエアはどれもデザインやカラーリングがオシャレなので、上下をコーディネートする楽しみが増えました。今後参戦する大会でもESTIVOのウエアを着て良い結果を求めていきたいです」
今期もSAJの強化選手として決定している。世界の頂点を目指すことは決して簡単なことではないが、彼は常にベストを尽くす姿勢をこれからも貫くはずだ。平昌五輪で味わった屈辱は4年後の北京で晴らすしかない。勝負に徹する16歳からは強い意志が見て取れる。猛烈な進化を続ける國武大晃と世界との戦いは、まだ始まったばかりだ。
國武大晃(くにたけ ひろあき)
2002年2月10日生まれ、16歳。身長163㎝、体重54㎏。愛知県阿久比町出身。スポンサーはBOOKOFF, Vitamin-i Factory, ESTIVO, RIDE SNOWBOARDS, MAX, SURREAL, SMITH, STANCER, PAP, GALLIUM, Jacky’s Holiday
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