先月2月中旬、日本のガールズスノーボードシーンに欠かせない上田ユキエと水上真里が北海道を共に旅した。ふたりは今から22年前に初めて篭ったゲレンデで出会い、その後お互いスノーボーダーとして22回のシーズンを過ごしてきた。それぞれ怪我に泣いたシーズンもあれば、海外の雪山を一緒に過ごしたシーズンもあった。スノーボーダーとして、お互いのターニングポイントを常に感じてきたふたり。偶然のような必然的なタイミングで今回旅をすることになったのだ。
この企画では、彼女たちが過ごした北海道での6日間の記憶とともに、各地で出会うゲストライダーとのセッション、北海道の魅力、そして今もなお彼女たちを虜にするスノーボーディングの魅力を、上田ユキエが自ら書いたストーリーで4回連載に渡ってお届けする。
Text: Yukie Ueda
VOL.1 ~旭岳編~
最初の目的地は旭川エリア
シーズンど真ん中の2月15日。スノーボードケースを抱え、千歳空港に降り立った。今シーズン2度目の北海道だ。ここ数年は毎年北海道に滑りに来ている。北海道には世界中が注目する極上のパウダースノーがあり、日本人として誇れる地である。海外で出会うスノーボーダーと話をしていると必ずと言っていいほど『北海道』の話題になる。行ったことのある人の誇らしげな表情、行ったことのない人の憧れの眼差し。私はアメリカに移住してからの方が北海道の魅力を感じさせられることが多くなり、それから毎シーズンのように足を運ぶようになった。
私はこの冬、旭川へ旅の想いを抱いた。理由は2つあり、ひとつはここは自分が日本でスノーボードを初めて履いた思い出の場所だったこと。そしてもうひとつの理由は『毎シーズン違う過ごし方にしよう』という自分の理念からだった。自分のスノーボード人生、あと何シーズンを過ごせるのだろう。同じ冬は二度とない。雪も自分の体も精神もだ。これは決してネガティブな考えではなく、人生に於いて貴重なスノーボードシーズンをより充実させるために、スノーボードを持ってどこに行きたいか思い浮かべると、果たして今後自分の人生の時間でどれだけの場所へ行けるのだろうかと思う。だから、今年の冬も貴重な時間なのだ。
旭川はハーフパイプを始めた90年代前半以降、撮影を絡めて2度ほど滑りに行っただけだった。それも既に10年以上前なので、記憶はほぼない。私にとっての旭川は充分過ぎるほど開拓の余地があり、今の私だったらどんな風に楽しめるだろうとワクワクする魅力に溢れていた。
この旅は水上真里と私だけの女ふたり旅。私たちは千歳空港に降り立ち、真里の車に乗り込みいよいよ旅がスタートした。スノーボーダー仲間というのは不思議だ。暫く振りの再会でもスノーボードという共通の目的があれば会わなかった時間を飛び越え、雪山を滑り寝食を共にするという特別な時間を共有できる。千歳から旭岳まで3時間半のドライブ。久しぶりの再会と旅の始まりの興奮で私たちのお喋りは止まらない。途中旭川市内を通過中「旭川ラーメンを食べよう!」と盛り上がる。私たちの目に『ラーメン村』なる看板が飛び込んできた。私たちは観光気分ではしゃいだ。どのラーメンも美味しそうだったし実際美味しかったのだけれど、お喋りが面白すぎてラーメンの美味しさの記憶が薄れたのも事実だ。
旅といえば宿の食事も楽しみのひとつだけれど、毎日滑りながらのロードトリップは時間が読めないので『調子の良い温泉宿で素泊まりする』というスタイルになった。そして私たちは『その土地の美味しいものを食べる』という目標も掲げた。その日の宿に到着する前は必ずコンビニで北海道限定のサッポロクラシックビールを買うことも忘れなかった。
最初の宿泊先は旭岳の麓にある地元の方も推薦する最高の温泉宿・湯駒荘。ここはオリンピック銀メダリストの竹内智香さんのご実家でもある。私達の体はゆっくりと極上の温泉で癒された。畳、お布団、そして障子を開けると外は雪景色。『ザ・ニッポン!』これを求めて海外からやってくる人にとっての価値感が今の私にはよくわかる。「あ~、もうこれだけでアメリカから長旅でやってきて良かった!」そう思った。しかしこれはまだ前菜のようなもの。明日は極上のスノーボーディングというメインディッシュが用意されているはずだ。物事の素晴らしさは外側から見た時にまた一段と強く感じるのかもしれないと思った。
翌朝も温泉で体をほぐしてからのスタート。昨夜からの新雪で雪化粧した旭岳が私たちを迎えてくれた。山の地図を見ながら探検する。これが楽しいのだ。子どもの頃近くの裏山を探検していた記憶。その世界も男の子が中心だったけれど、そういえば好奇心旺盛な女の子もいた。頼もしい男の子たちに混ざって遊ぶのは楽しかったが、いつからだろう。自分がリーダーになりこうして女の子だけで探検する特別な楽しさを覚えたのは。
旭岳はどーんとロープウェイが一本。それだけだ。それだけでひとつの魅力的な山を滑りまくることができる。晴れていれば更に頂上までハイクアップして絶景を眺めながら滑ることもできるのだが、今回はあいにくの雪模様。絶景はないが極上のパウダーが山一面を覆っていた。足を踏み入れたらいけないだろうという範囲はわかりやすかった。ロープウェイを挟んで左右に1本ずつ存在する圧雪されたコースを目安に広大な範囲の非圧雪の地形や感覚の良いツリーが存在していた。旭岳をあまり知らない私たちだったが、ラッキーなことに朝のゴンドラで出会ったプロスキーヤー浅川 誠さんにアドバイスをいただき、ふたりだけの果敢な探検が始まった。
お互いに記憶を蘇らせながら山を滑る。朝まで降り続いた雪は次第に止み、薄明るい光と共に絶景が広がった。私たちはそれぞれカメラを片手にお互いを撮影しながら滑りまくった。長年撮影をこなしてきた私たちはふたりきりでも撮影モード全開だ。声を掛け合い自分の位置を決め、自分が残せるライディングを刻んだ。いいライン、いい画を残すために何度でもハイクアップした。
『プロスノーボーダー』という職業を何年もやってきた。それだけでは食べていけない時も怪我に泣く時もあったが、ずっとスノーボードが好きだった。どうしたらスノーボーダーで居続けられるのかと考え努力してきた。私たちにとって、それは最早『職業』ではなく『生き方』だった。スノーボーダーである人生でいたいのだ。今日という日も夢中になって滑った。お昼に一度車でオニギリを頬張っただけで、あとはロープウェイの中で休憩した。滑り終わり車に乗り込んだらお互いヘトヘトに疲れていて思わず笑っちゃった。いい大人の女ふたりがこんなになるまで夢中で滑ってしまうという事実に照れくさくなる。そしてこんな人生って最高だなと思う。
女ふたり旅 〜旭岳編〜 MOVIE
旭岳セッションを終え、旅は次なる目的地「層雲峡温泉&黒岳」へ。
はたして、次のポイントではどんなフィールドと出来事が待っているのだろうか?
続く。
次回は1週間後に「〜層雲峡温泉&黒岳編〜」をUPします。
お楽しみに!
★PROFILE
上田ユキエ
1973年1月22日生まれ。カナダウィスラーでスノーボードを始め23年、ハーフパイプやビッグエアーなどの競技を経てバックカントリーの魅力にはまる。現在はアメリカに移住し5歳の息子を育てながら自らのプロ活動を続ける傍ら、キッズと母親のプロジェクト(LILKIDS&MAMA)や日本の若手をアメリカで経験させるキャンプ(CALI LIFE CAMP)などを運営している。
SPONSOR: K2 SNOWBOARDING, Billabong, MORISPO SPAZIO, NEFF, RONIN, ZOOT, CORAZON SHIBUYA, LALALATV
水上真里
1976年7月17日生まれ。高校の交換留学生として行ったNEW ZEALANDでスノーボードと出会う。パイプ、ストリートレール、スロープスタイルを経て、現在はバックカントリーを中心に滑る。怪我で数年間滑れなくなったことをきっかけに都内や雪山でスノーボーダー達が楽しめるパーティー(PARTY BUNNYS)やイベント(SHREDDING GIRLS)を開催している。
SPONSOR: GNU, NORTHWAVE, DRAKE, WESTBEACH, SPY, BLACKDIAMOND, SBN FREERUN, SHREDDING GIRLS, PARTY BUNNYSイベント, 赤羽ファースト歯科