キララキャンプを始めて17年。
本当にたくさんのキッズ、パパママとの出逢いがあり、スノーボードを通じたいろんな子育てを見せていただきました。そこには、“子育てのヒント”がたくさん。
スノーボードを通じて親子で得られたこと、スノーボードを通じて伝えたことなどなど。
今回は、鬼塚雅ママ(通称:ビーママ)に伺いました!
2018-19シーズン、鬼塚雅はまた新しい花を咲かせた。
ワールドカップ開幕戦から2戦連続で優勝、同じく2018-19女子スノーボード スロープスタイルで種目別優勝、2019 BURTON US OPENスロープスタイル3位入賞。
雅がスノーボードを始めたのは5歳の時。
小学2年・3年の時にキッズスロープスタイル大会“インディパークジャム”で連続優勝。小学6年には、アメリカ・カリフォルニア州マンモスで開催されたVOLCOM PEANUT BUTTER & RAIL JAM CHAMPIONSHIPS ガールズ部門 優勝、さらに2012年Burton ヨーロピアンジュニアオープン(SS) 1位、2015年スノーボード世界選手権(SS)1位、2018年平昌五輪ビックエア8位入賞。
などなど、スノーボードを始めてわずか15年で雅はスロープスタイルの世界女王となった。
アルツ磐梯で開催したキララキャンプに雅が初めて参加してくれたのは2006年3月。
小学1年生、スノーボード歴わずか1年だった。
その時の雅の滑りとスタイルは、今でも目に焼き付いている。
キッカーではすでにフロントサイド180°、ボックスではフロンドサイドボードスライドをスタイリッシュにメイク。
普段は、華奢でとにかくかわいかったけど、滑りは、すでに大人顔負けのスタイルだった。
そして鬼塚美代子さん/ビーママとの出逢いも衝撃だった。
“うちの子天才なの!!”が、ビーママの口癖。
“うちの子天才”とは思っていてもなかなか言えないものですよね。
私も言えないタイプ。だからこそ素直にすごいなと思いました。
雅は確かに天才の素質があったかもしれない。
でも、自分の子どもの“得意なこと”にいち早く気づいたこと、雅の大躍進に劣らない、ビーママの情報収集力、行動力。
ビーママはサポーターとしてもやり手であることは間違いない。
そんな子育ての先輩でもあるビーママにスノーボード育ストーリーを伺いました☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
橋本:ビーママ、お久しぶりです!昨年の3月にはオリンピック直後の忙しい時だったのに雅がキララキャンプのゲストとして参加してくれて、子ども達がとても喜んでいました!本当にありがとうございました!
今日はママのインタビューよろしくお願いします!これまでたくさんのパパママに出逢いましたが衝撃NO.1はビーママです(笑)
“うちの子天才なの!”って言っていたこと覚えていますか?
ビーママ:久しぶり!(うちの子天才発言)いつも言っているから覚えてない(笑) だって本当に天才なんだもん。(笑)
橋本:スノーボードを始めたのは5歳の時でしたよね!スノーボードをはじめるきっかけは何だったのですか?
ビーママ:スノーヴァ香椎で旦那が先にスノーボードを始めて、子どもも一緒に連れていってみたらとても楽しかったみたいで、たまに行くようになりました。スノーヴァ香椎と、ビックエア福岡では、その度にレッスンに入っていました。先生達が楽しくレッスンして下さったので、先生達に会いたいがためにスクールに行っていました。今から考えるとそれがよかったんだと思います。子ども達の飽きっぽい性格をわかっていたので、特定の先生ではなく、わざといろんな先生にお願いしてました。
橋本:雅はもちろんのこと、ゴルフで2024年パリ五輪出場を目指す妹の貴理ちゃんも、すごくスノーボードが上手で、キッズスロープスタイル大会INDY PARK JAM2009では、角野友基くんと共に優勝しましたよね!なぜ小さい頃からそんなに運動ができたのでしょうか?赤ちゃんの時からやっていたことなどありますか?
ビーママ:幼稚園がよかったと思う。「ヨコミネ式」教育法が有名になる前だったけど、「ヨコミネ式」教育を取り入れていた幼稚園だったので。
橋本:なるほど。「ヨコミネ式」で幼少時に心、体、学ぶ力をつけていたのですね。小学低学年ですでに注目を集めていた雅ですが、スノーボードを競技として考え始めたのはいつからですか?
ビーママ:キララキャンプの発表会で2位になったのが悔しくて、めっちゃ練習するようになって、その翌年に同じ大会で優勝して、もっともっとうまくなりたいという感じになり、小学3年の時に、海外に目を向けるようになりました。小学4年生の夏、キャンプオブチャンピオン(カナダ・ウィスラーのサマーキャンプ)に参加したことで海外のすばらしさを知り、小学5年生の時に海外の大会に初参戦して2位になり、(Volcom Peanut Butter Rail Jam Championshipsガールズ部門)、これがきっかけで更に本気スイッチが入ったみたいです。
橋本:確かに雅の成長のスピードはすさまじかったですね。でもスノーボードを始めてすぐに、熊本から福島まで遠征してキララキャンプや大会参加、その後すぐに世界につながる方法を探し、子どもを世界レベルへと引き上げていったビーママの情報収集力と行動力はあっぱれです。キッズスノーボーダーも少なかったし、全てが手さぐりでしたよね。日本全国遠征し、慣れない土地で大量の洗濯物と格闘していたパワフルウーマン、小学生のころを振り返ってみてどうですか?
ビーママ:思い出に残っているのは、移動中の親子のコミュニケーションかな。会話がたくさんできたし、子どもと深く関われた。アスリートをやってきてよかったと思う。やっぱり親の目が届いている。塾に任せてとか、〇〇教室に任せてとか、やっているようで放任の人って多いよね。もっと子どもと関わった方がいいと思う。これは胸を張って言える。
橋本:びーちゃんの中学、高校時代はどのようでしたか?
ビーママ:中学、高校共に、勉強とスノーボードの両立を頑張っていたと思う。 宿題をしない日は一日もなくて、自らちゃんとやっていた。
橋本:普通に子育てするだけでも大変なことなのに、アスリートサポートまで。家事、子育て、アスリートサポート、何か工夫していたことはありますか?
ビーママ:手の込んだ料理は週に1日。栄養バランスはもちろん考えて時短料理。根を詰め過ぎないように工夫していた。もともとパワフルな方だから笑
【 ショートインタビュー 】
Q:初めて出場した大会は?
A:INDY PARK JAM2006(弊社主催の日本初キッズスロープスタイル大会)
Q:初めてのスポンサーは?
A: BURTON(小学4年の時)
Q:初めての海外スノーボードは?
A: ファーストチルドレンのやっさん(佐藤康弘)達と撮影もかねてキャンプオブチャンピオンに参加(小学4年の時)
橋本:最後に、ここからの雅が更にどんな風に輝いていくかとても期待しています。ビーママはどう思いますか?
ビーママ:ライバルが現れてくれたことに喜んでいるし、練習が更に楽しそうです。スノーボードをしたことで、世界が広がり、たくさんのいろんな人達に出逢えている。スノーボードというくくりで終わらず、広い視野でいろいろ考えているみたいです。自分の人生、大事に生きていってほしいです。彼女の成長の過程で、みっちゃん達(キララ)に出逢えて本当によかったと思う。
実は、このインタビューをさせてもらったのは2018年12月。
その後ハイシーズンに突入してしまい、まとめきれていないまま時が流れ、、、
3月に雅と再会できたので、雅にもいろいろ聞いてみた。
1年ぶりに会う雅はすごく大人になっていて、平昌五輪後、大会やスポンサーのことなどを自分で判断するようになったこと、自分の好きな練習ができるようになったこと、いろんな縛りから解放されたこと、次は妹の貴理ちゃんのことも応援していきたいことなどを、自分の言葉でしっかり話してくれました。
大きなものを乗り越えた雅は、凜としてて本当にかっこよかった☆
今回、鬼塚親子と話して学んだことは、“関心を持つ大事さ”。
関心を持つことで、はみだすことや、ぶつかることも多々あるかもしれないけど、関心を持たないよりはずっといいということ。
私も子どもの体だけでなく、心をしっかりハグしなきゃと思いました☆
余談ですが、雅にベタな質問させてもらいました(笑)
橋本:キララに出逢ってよかったことは?
雅 : キララはスノーボードの楽しさを教えてくれた場所の1つであって、練習で辛くなったときに戻れる場所でもあります。そしてなによりもキララに参加できて良かったと思っているのは、みっちゃんライオンという暖かくて尊敬できる優しい大人に出会えたり、みもざ、みさちゃんだったり大切な友達と出会えさせてもらったことです!
雅、ありがとうー!(涙)キララキャンプ頑張って続けてきて本当によかった☆
鬼塚雅、びーちゃん、これからもキララみんなで応援します!
最後に、らいおん先生より(今井勇人/スノーボードナショナルチームコーチ)
“キララキャンプで出逢った泣き虫びーちゃんを平昌のスタート台から見送った時、今までのシーンがいっぱい蘇ってきた。これからも一人のファンとして心から応援しています。コーチとしては北京に向けて一緒に頑張りましょう!“
これからも雅をはじめ、子ども達がスノーボードを通じてキラキラと輝いて生きられるような道作りを、全力で取りくんでいきたいと思います☆
読んで下さったみなさん、ありがとうございます☆
KIRARA KAMP /MICHIYO HASHIMOTO