ネコママウンテンと共に育った“世界初”への挑戦〜荻原大翔インタビュー

3歳で板を履き、ネコママウンテンを“もう一つの家”として育ってきた少年は、今や世界の頂点を狙うライダーとなった。
バックサイド2160(通称“21”)、2340(“23”)と次々に限界を更新し、人類未踏の7回転半(“27)”までも視野に入れる荻原大翔。
「危うさとかっこよさが共存する瞬間が最高」と語るそのスタイルは、挑戦を恐れず攻め続けることで磨かれてきた。
来たるミラノ=コルティナ五輪、彼が世界に示すのはメダル以上に“スノーボードの魅力”そのものだ。

幼少期からの「もう一つの家」: ネコママウンテンとの契約の意味

2025年10月、荻原大翔(おぎわらひろと)はネコママウンテンと正式に契約ライダーとなった。
3歳でスノーボードを始めて以来、週末ごとに通い続けてきたこのゲレンデは、彼にとって単なる練習場ではなく「もう一つの家」であり、数々の挑戦と成長の舞台でもあった。

「ここでの思い出は数え切れないです。友達と一緒に滑った時間が一番楽しかったし、大会で優勝したことや、Switch Back Side 1980を決められたのも、全部ネコマだった」

南エリアの長大なフリーラン、豊富なパウダー、そして2017年から稼働する世界基準の「グローバルパーク」。
荻原は「日本で唯一、海外サイズのジャンプが練習できる場所」として、この環境の価値を強調する。
「他のスキー場ではできない規模のジャンプがここにはある。そこで練習すれば、海外遠征でもすぐ成果につなげられる。ネコマがなかったら今の自分はいなかったと思います」

契約の背景には、ゲレンデが選手を育て、選手がゲレンデを進化させていく相互関係がある。
荻原自身も「子どもたちに夢を見せるイベントに関わりたい」と語り、次世代のライダー育成にも意欲を示した。

ジャンプの魅力 :「危うさと美しさが同居する」

荻原大翔の名を世界に広めたのは、何と言っても2025年1月のX Gamesで成功させたバックサイド2340(6回転半)だ。
だが、彼が語るジャンプの本質は、単なる技術の記録更新に留まらない。

「ジャンプの魅力はダイナミックさ。人間が25メートルの距離を自分の力で飛んで回るなんて、日常では絶対ありえない。小学生の時、教室の横幅を見て“これくらい飛んでるんだ”って考えたこともあるし、プールを飛び越える距離を飛ぶなんて、もう非日常そのもの」

彼はジャンプを「危なさとカッコよさが共存するもの」と表現する。
高さや回転力へのこだわりは、勝つためだけではなく、観客を惹きつけるためでもある。
「日本人は体格的に小さい。だからこそ高さを出すこと、スタイルを出すことが大事。外人選手と同じトリックをしても見劣りしないように、自分の体を最大限に大きく見せる工夫をしています」

ノーズ、テールを掴むグラブや手の位置を工夫することで、よりダイナミックに見せる。競技だけでなく映像制作でも「スノーボーダーとしてのスタイル」を意識し始めたと語る。
「ただ勝つだけじゃなく、観客や映像を通じて“魅せる”こともスノーボードの大事な要素。危うさと美しさ、その両方がある瞬間が最高です」

X Gamesの2340をぜひ再チェックを!!

世界初への挑戦とトレーニング :「恐怖心はなくならない」

荻原は「世界初」に挑み続ける。その準備に特別な筋トレはない。
「自分は筋トレが好きじゃないんです。楽しくないことは続けられないタイプだから。だからスノーボードそのものを滑り込み、楽しみながら体を作ってきた」。

映像を繰り返し見てイメージを蓄積し、エアマットや東北クエストで反復を重ねる。5回転半から6回転、1800から2160といった類似トリックを研究し、感覚を積み上げてきた。(荻原選手曰く:同じような形で着地するので感覚として似ているところがあるという)
「恐怖心は絶対になくならない。だから慣れるしかない。わざと怖い技を試して、自分を恐怖に慣らすようにしている。練習でも怖い。でもそれを乗り越えることでしか成長できない」

成功の瞬間については「空中で“行ける”と感じる時もあるし、着地してから確信する時もある」と語る。特に観客の声援や会場の熱気は大きな力になる。
「ナインズ(THE NINES)やX Gamesみたいな“お祭り”の雰囲気が好きなんです。観客が湧いている中で挑戦すると、恐怖よりもワクワクが勝つ。あの瞬間が一番気持ちいい」

 

ズバリ、限界値を問う :「自分のスノーボード人生では7回転半がマックスかな?」

回転数の限界についての質問に、荻原は率直に答える。
「21(6回転:2160)を決めたとき、もう限界かもと思った。でも23(6回転半:2340)を成功できた。だから25(7回転:2520)は“ワンチャンある”と思ってます。ただ、そこが最大の壁。もし25を超えられたら、27(7回転半:2700)も見えてくる。でも自分の人生で考えると、27が限界じゃないかと思います」。

ジャンプ台の進化もまた限界を押し広げる。昔の「前に飛ばすだけ」の設計から、今は「高さを出して長いランディングで受け止める」形状に変わり、より安全に挑戦できる環境が整った。
「今のジャンプは浮遊感があって、怖さより気持ちよさが勝つこともある。環境の進化が挑戦を後押ししてくれている」。

 

メンタル面 :「0か100の勝負」

荻原の強さはメンタルにもある。
「自分は0か100のタイプ。決めたら勝つし、決めなかったら予選落ち。成功したときに観客と一緒に盛り上がれるのが嬉しい」。
「失敗して負けるのは仕方ないけど、成功して負けるのは嫌」という言葉の真意は、結果以上に「挑戦をやり切ること」へのこだわりにある。

初の五輪に向けても「プレッシャーより楽しみの方が大きい」と笑う。攻め続ける姿勢は、恐怖を超え、挑戦を楽しむ心から生まれている。


2026ミラノ=コルティナ五輪への展望 :「スノーボードを世界に広める舞台」

来年2月に迫る五輪。荻原は「スロープスタイルもビッグエアも金メダルを狙う」と宣言する。
視野に入れるのは、バックサイド2520(7回転)、世界未踏のスイッチバック2340、そしてロデオ系トリックの組み込みだ。
「X Gamesやワールドカップと違って、オリンピックはスノーボードを知らない人も世界中で見る舞台。スノーボードを広める大きなチャンスだと思います」。

メダル以上に大切にしたいことを問うと、荻原は即答した。
「スノーボードは楽しい、かっこいいってことを広めたい。みんなが“今週末スノーボード行こう”って言える文化を作りたい」。


・・・ネコマから世界へ

3歳で板を履き、ネコママウンテンを「家」と呼んできた少年は、今や世界最高難度の技を繰り出すライダーとなった。
だがその根底にあるのは「スノーボードの楽しさを伝えたい」というシンプルな思いだ。

ネコマで育ち、世界に羽ばたく荻原大翔。
その挑戦はまだ続く。
次なる舞台はミラノ=コルティナ。
7回転半という人類未踏の領域に踏み出す可能性を胸に、彼は再び飛び立つ。

>ネコママウンテンとの契約発表の場で公開された映像

ネコママウンテンが荻原選手とのスポンサー契約を発表、2025年10月8日(水)に磐梯山温泉ホテル by 星野リゾートにて記者会見がおこなわれた。左は総支配人の森本 剛氏

photo & Interview: zizo