「スノーボードの聖地を目指すなかでつながった鬼塚 雅選手へのサポート」〜星野リゾート代表・星野佳路氏に聞く

星野リゾートが運営するアルツ磐梯、猫魔スキー場、トマムは、数ある国内のスキー場の中でも、他のリゾートにない個性と魅力を発信し、我々スノーボーダーにとって不可欠なスノーリゾートとして認知されている。「スノーボードの聖地」と掲げたアルツ磐梯では、過去にASIAN OPENやSLOPESTYLEなど国際大会も開催され、現在も国内最大級のパークを展開し続けている。
一般的にも知られているように星野リゾートは旅の面白さを様々なカタチで提案し続け、国内外に多数のリゾートを運営する会社。長年に渡る、豊富な経験を重ねてきたうえで、スノーリゾートの運営もおこなわれている。だからこそ、これらのリゾートが他のリゾートにはない視点や考え方に基づき進化してきたという側面もあるだろう。
北京オリンピックに挑む鬼塚 雅選手のサポート、「Miyabi Park」のプロジェクトなど、星野リゾートは我々が楽しむスノーボードをどう盛り上げていこうと考えているのか? その理由も含め、星野代表にお話を伺った。


星野リゾートが目指す
スノーリゾートのかたち


Q
アルツ磐梯、トマムと星野リゾートがスノーリゾートに参入した時に、どんなお考えがあったのでしょうか?

スキー場に関しては、いろいろな話がありました。2000年以降、スキー市場が減少していって再生案件のお声がけも色々ありました。私は海外のスキー場でよく滑るので、海外と比較したうえで、日本のスキー場の運営には問題点を感じていました。
それは日本のスキー場では山とベースが、色々な人によって所有されているところが多いという現実でした。例えばスキー場のリフトが、同じスキー場の中でも違う会社の所有だったりとか。ベースを見ると、その部分の不動産には小さな不動産オーナーたちがたくさんいたりする。スキー場全体をひとつのリゾートとしてみたときに、利害関係者が多くて、なかなか再生ができません。同一したコンセプトで統一した再開発ができない。
私たちが運営しているホテルでは、建物の建て替えも含め、コンセプトがひとつ決まると、そこに向かってやるべきことが決定できるんです。ところが、日本のスキー場というのはなかなかそれができない。なので、このスキー場の再生案件での私の基準は、山もベースも一社でコントロールできるということでした。そういう視点でスキー場再生するファンドの会社と一緒に、私たちが運営して、経営して、投資していただくという体制を整えました。リフトを一本架け替えるとか、これを廃止してこっちに繋げようとか、コンセプトにしたがって戦略通りに無駄な調整を入れずに進められる。それがアルツ磐梯とトマムに参入した一番の要因です。
両スキー場共に2003~2004年くらいからスタートし、結構順調に人も集まり始めました。ところが、東日本大震災があり、そこからなかなか難しい状況を抱えることとなり、アルツ磐梯では世界の投資家も手を引きました。トマムは逆に、予定通りに順調で収益を得ていましたが、アルツ磐梯の方は福島に原発のイメージがついてしまい、観光はできないという見られ方になってしまった。そこで、私たちが100%所有し直したというのが現状です。

上質のパウダー、様々なコース、そして充実の施設、星野リゾートが運営をはじめ、大きく進化し、人気も上昇した星野リゾート トマム
東北エリアはもとより、国内のリゾートの中でも、施設やサービスの充実度も高く、特にスノーボーダーにおける人気は絶対的に高い星野リゾート アルツ磐梯

Q
星野リゾートとしてはスキー場経営のどのような部分が最も重要だと考えていらっしゃいますか?

ゲレンデを効率よく改良していくことがとても重要だと思います。例えば、トマムではリフトをどんどん架け替えて、実際には運営スタート時より40%ほどリフト数は減らしながらも、スキー場内でのムーバビリティ、動きははるかによくなっています。そういうコントロールを次々と行い好循環をつくっていく。そういうスキー場にしていくことで、ベースの価値観を高めていく。ベースの不動産を自由に変化させることができないと、結局、スキー場をよくした本当のメリットを得られないのです。
日本のスキー場はリフト券収益で利益を上げるという考え方を基盤にしている傾向が強い。でもそれは実は世界の過去50年くらいのスキー場の事業モデルからしてもあまり見られないパターンなのです。スキー場って滑るだけじゃ無いですから。どちらかというと滑っている時間よりも滑っていない時間の方が長いですからね。そこはやはり改善が重要なんです。さらに冬だけではなくて夏も春も秋も楽しめるものに変えていく。これが最終目標。トマムを見ていただくと、現在は春夏秋も、十分稼働する状態になっています。雲海テラスは夏も人気です。年間を通して稼働できる状況へと進化させる。つまり、冬の利益でどうやって年間を通して稼働できるリゾートに変えていくかというのが大事なポイントなのです。

ベースから山全体を一社で運営するからこそ、改善が進み、集客し、次なるステップへと進む。今となってはパウダーエリアの解放は多くのスキー場で見受けられるが、トマムでは国内のリゾートの中でも先陣をきって海外のリゾートのようなエリア解放、スノーボーダーの求める滑りを実現できるサービスを提供してきた

 Q
スノーリゾートへの参入時、スノーボードがウインタースポーツの定番として成長期にあったと思いますが、スノーボードをどう盛り上げていこうとお考えでしたか?

2003年、2004年にアルツ磐梯の経営に入った時に、大規模な調査をかけました。その時に、スノーボーダーの人たちがスキー場で虐げられていると感じました。例えば、奥志賀高原はゲレンデの中でも、スノーボーダーは入ってはいけないエリアがあった。さらにスノーボードは危ない、地面に座って行儀が悪いとか言われたり、ウェルカムされていない現実があった。
一方アルツ磐梯は、スキーヤーの中では、新参者と思われていました。つまりスキーヤーの人は、やっぱり苗場、志賀高原だ、とか。こっちが名門であって、アルツ磐梯なんていうのは最近出てきた新参者で今一歩。そういう風にスキーヤーからは見られていた。それなら私たちはスノーボーダーに来てもらおうと思った。私たちが成功するには「スノーボーダーの聖地」にならなければいけない。そこからは迷わずスノーボーダーの方々を100%ウェルカムするというスキー場を目指してきました。

Q
スノーリゾートの方に参入してみて、星野さんが抱いていた理想と現実のギャップみたいなものは感じられることはありますか?

世界のスノーリゾートの過去の経緯を調べると、一時的にマーケットが日本みたいにブームになって後に下がったりというのはあるんです。その時に海外ではリゾートの数がどんどん減るということが起きている。要するに淘汰されるということ。その淘汰されるスピードが海外は圧倒的に早い。
ところが日本では淘汰は遅いんです。さらに実際に淘汰はあまりされず、赤字なのになぜかみんな残っている。これが市場の活性化が遅れた理由だと思います。それは私たちが想定した以上に感じています。単に安売りをして、なぜか生き残っているという状況。エリアに10個あるものを9個無くして1個にすれば、そこに収益が集中しますから、さらなる投資が進んでどんどん良くなって行くはずなのですが、そうなっていないのです。

自らもスキーでは海外リゾート、バックカントリーまでを楽しむほど。だからこそスノーリゾートのビジネスにも思い入れが強い。ただし、アルツ磐梯の最優先はスノーボード、参入時からその方向性は一切ブレていない

Q
そういうことが起こっていれば、日本のスノーリゾートはもっともっと発展できると。

もっと発展できると思いますね。それが一部見えたのが北海道。トマムも過去、私たちが運営し始めて2006年に投資ファンドが組まれ、そこからの15年間には投資額は相当増えています。ホテルも、ベースも良くなって、雲海テラスも良くなって、リフトも全部架け替えるというような好循環が生まれたのです。それはやはり、関東から遠かったのが良かった。部分的にそういうことが起こったわけです。もっと本当は関東の周辺や上越で起こってもいいはずなのです。そこは見ていただいても分かる通り、スキー場の数が多いのです。

 

東日本大震災という障壁を越えて
スノーボーダーの聖地へ


Q
アルツ磐梯でNIPPON OPEN、ASIAN OPEN、SLOPE STYLEと、多くの国際大会を開催されてきたと思うんですが、その一番の理由を教えてください。

大会自体で人を集めて収益を上げようという目的ではなく、やはりスノーボーダーの聖地としての認知を獲得したいというのが最大の目的です。中長期的に「スノーボーダーにとってアルツ磐梯がいいよね」と思ってもらえるようにしていきたいというのが一番の大きな目標でした。
実は、NIPPON OPENから、ASIAN OPENにした時にジェイク・バートン氏(Burton創設者)も首を傾げていたので、私はその時Burton本社のあるバーモントへ彼を説得しに行ったのです。あの時、バートン社は中国の大きなマーケットでの影響力を考え、中国での大会の開催も考えていたようでしたが、私は中国の方々も最後には日本の雪に必ず来るということを彼に十分説明し、それで納得してもらってASIAN OPENを開催したという経緯があります。北京にある中国のスポーツ機関にも説得しに行きました。中国からぜひ選手を出して欲しいとお願いに行ったりもしました。
アジアにとってのスキー場の聖地は日本であるという、長期的な将来ビジョンという意味でもASIAN OPENの開催は重要だと思いました。今中国の中にもスキー場は沢山できていますが、やはり最後は日本の雪山に必ず来るんです。中国国内のスキー市場、スノーボード市場はかなり増加していますが、やはり日本の雪には敵わないでしょう。日本からも中国の市場もターゲットにしていきたいという思いもありました。
さらにアルツ磐梯の戦略、スノーボード市場の拡大、そしてアジアの中での日本のスキー場の位置付け、こういうところを非常に効果的に情報発信するツールとして、国際大会はすごく効果的だと思い、取り組んできました。

Q
国際大会を開催したことで、アルツ磐梯自体のクオリティもかなり上がったということはありますか?

今年もそうですが、パークを作るディガーのスタッフや、スクールやパトロールのスタッフも「スノーボードの聖地」としてのプライドを感じてくれているのがいちばん大きいと思います。スタッフに与えた影響はすごく大きいですね。さらに、自分たちで判断して「スノーボーダーにとってこれってかっこいいよね」くらいのところで提案できるというところは、アルツ磐梯の強さになっています。
実は総支配人やゲレンデの責任者もスノーボードの競技選手だったんです。グループ内でもスノーボード専門のスタッフが集結してくれている。なかなか楽しい場所になりました。そういうメンバーが集まり、みんなが感覚を理解し、共感し合いながらプロジェクトが進んでいます。

Q
震災によってアルツ磐梯はどのような影響を受けているのでしょうか?

震災はその地震被害そのものよりも、福島第一発電所の原発事故の影響が大きいです。県名がついている原発って福島だけなんです。もし違う名前だったら影響の度合いも変わっていたかもしれない。特に海外における風評は未だにひどい状況です。だから前述したようにそこで投資家も引いてしまっているというわけです。
でも、私はこういう境遇になると頑張りたくなるっていうところがあるんですよ。今、アルツ磐梯が抱える状況は、世界の観光の事例の中でとても難しい事例だと思います。世界からバンバン人が来るということは当面ないと思いますが、スキー場としてスノーボーダーの方々に滑ってもらう場所として、持続可能な収益モデルに辿り着ける可能性があると思っています。

 

鬼塚 雅選手というひとりアスリートのストーリーを
星野リゾートの歴史と共に残すということ


Q
鬼塚選手にとっては星野リゾートのサポートでアルツ磐梯の全面協力を得て練習ができるということに大きなメリットがあると思いますが、星野リゾートさん側にとって一番メリットだと考えているところは?

私たちはスポーツ選手に所属してもらい企業イメージを良くしたいという戦略があったわけではないんです。鬼塚さん側からの提案でした。彼女の話を聞いた時に、その理由がアルツ磐梯で育ったからということ。それはスキー場としてこれほど名誉なことはないと思っています。
先ほど参入当時にスノーボードの調査をかけた時には、虐げられていたと言いましたが、その一つの象徴は、親世代がスノーボードをさせたくないという風潮だったんです。子供を連れて行くとスキースクールに入れ、スノーボードはさせない。そんな状況でした。だから私たちはスノーボードの聖地を目指すなら、ちゃんとしたスノーボードのスクールを作ろうと。そして子供たちにも十分な環境を整えようという意図で「KIRARA CAMP」などを積極的に誘致して、スノーボードのスクールをアルツ磐梯でバンバンやったんです。そこから育って来たのが実は鬼塚 雅さんでした。そういうストーリーに今回のサポートの話も繋がっています。
ストーリー性から言って、彼女をサポートすることの会社としての道義的な背景があるということがいちばん大きな理由です。有名になったから、きっと勝つから、スポンサーになり企業イメージを良くしようとか、そんなことはあまり考えていません。なので、鬼塚さんの後もどうしようみたいなことも全く考えていないです。すごく長い目で見た時にアルツ磐梯で育った選手が、現役を全うするというストーリーが会社の歴史からするととても大切な、ひとつの実績になるというところを私たちは重視しています。
星野リゾートは107年の歴史を持つ会社で、私も先代、先先代たちがやってきたストーリーが、実はこの会社の価値観を作っているんです。さらに私の時代には私たちのストーリーの作り方がある。アルツ磐梯で育った鬼塚 雅が選手を全うする間、どんな会社とのリレーションを維持できるのかっていうことがすごく大事な、将来の資産になっていくと私は思っています。
ちょっと極端なことをいうと、星野リゾートの過去107年間で先代、先先代が関わって来た中でのストーリーが、会社の中にバリュー、価値としてしっかりと残っているんです。鬼塚 雅さんとの関係も、そうなる可能性があると思っています。30年後、40年後、50年後に振り返った時に、私たちのスキー場で育った選手が現役を全うするというストーリーを星野リゾートの歴史として残せることはすごく大きいですね。
そして同時にスキー場というのはスキーとかスノーボードというスポーツをテーマにしていますが、それをテーマとした顧客とのあり方を象徴することにも繋がるのでとても大事だと思っています。さらに私は鬼塚さんが現役の後にどうなるか。それは彼女の自身のキャリアですが、そこもすごく楽しみにしています。

今シーズンはオリンピックへの準備もあり、12月下旬完成を目指してのスケジュールでプロジェクトが進む「Miyabi Park」
鬼塚選手の活躍によって企業イメージを良くしたいということではなく、アルツ磐梯で育ってきた鬼塚選手が現役を全うするストーリーと繋がることが会社の価値観を示す上で重要だと星野氏は語る

Q
先日、鬼塚選手にインタビューさせていただきましたが、平昌の時に増して彼女自身の精神的に安定しているなと感じました。「私は天才肌ではなくて積み上げてきて上手くなってきた選手。今その積み上げが、星野リゾートさんの協力も得て十分な準備ができてきてる」っていうお話をされていました。

私はメダルだなんだというよりも、本当に納得できる当日を迎えてほしいと思っています。

Q
そういう星野さんの、過剰なプレッシャーにならないご理解あるサポートが彼女の良い支えになっているんじゃないでしょうか?

そう言っていただけると嬉しいです。見てると現代っ子なんですけど、その割に自分自身にプレッシャーをかけるタイプですよね。スノーボードっていうのは団体競技と違って、一瞬のパフォーマンスに全てがかかるので、精神状態をどう持っていけるかというのは大きなポイントかもしれないですね。

「天才型」ではなく「練習」「周囲のサポート」があってここまでこれた鬼塚選手は語る。ここ最近の安定感のある活躍ぶりを見てもオリンピックに向けて順調な準備が出来ていることが感じられる

Q
直前の準備においてもアルツ磐梯の大きなプロジェクトも進んでいるようですね。

十分な練習ができる世界レベルのアイテムをシーズン初旬にアルツ磐梯に作るというのはなかなか難しいことです。しかし、ディガー隊長の山田さんや総支配人も含めて、元スノーボード選手だったということもあり、スタッフ一丸となって工夫しながら進めています。

Q
アルツ磐梯は常に毎年期待感がいっぱいでシーズンを迎えられるので、それが素晴らしいことですね。

そういう意味では、ひとつアルツ磐梯でいいことは、震災の後に誰も収益を期待しないリゾートになりました。福島でやっていて大変ですね、みたいな。風評被害でインバウンドも来ないでしょと。その通りなんですが、そこに面白さがありますよ。面白さというか、それこそプレッシャーのない自由を得た感じです。そこを武器に独自の収益モデルになるようにしていかなければいけないと思います。

星野佳路
Yoshiharu Hoshino
1960年長野県軽井沢町生まれ
107年という歴史を持ち、現在も様々なリゾートと旅のかたちを提案し続け、進化を重ねる星野リゾートの代表。自らも海外のスノーリゾートをはじめ、バックカントリーまで、年間60日の滑走を目標に滑り続けている熱いスキーヤーでもある。

<世界に向けて挑む鬼塚 雅選手と、オーダーメイドパークが作られるまでの物語>

【第1話】Get Over ー鬼塚雅×星野リゾートー

【第2話】Get Over ー鬼塚雅×星野リゾートー

【第3話】Get Over ー鬼塚雅×星野リゾートー

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