スノーボードのパイオニア、ジェイク・バートン氏インタビュー 「スノーボーディングは私の情熱」<前編>

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1960年代に遊びとして誕生したスノーボードは、今や一大エンターテイメント産業に成長。オリンピック種目にもなり、誰もが注目するスポーツとなった。その発展劇をリーディングカンパニーであるBURTONスノーボードのジェイク・バートン氏はどう見ているのか。昨年には死をも覚悟した大病をわずらい、みごと打ち勝ち、スノーフィールドへ舞い戻ったジェイク氏に、いま見つめる未来を語ってもらった。

フリーラン(以下、F):もう今シーズンは滑りに行きましたか?

ジェイク・バートン(以下、J):ええ、バーモントとカナダ、ウィスラーに行きましたよ。身体も少しずつですが回復しています。焦ることなく、時間をかけて復調できるといいですね。

F:フィッシャー症候群という難病だったそうですね。しかもBURTON US OPEN後にそのような病にふされているとは知りませんでした。病室ではどのようなことを考えていたのでしょう?

J:正直に言うと、諦めた時もあったほどひどい状態にありました。子供たちには「私はこのまま死んだ方がいいんじゃないか」とまで話しました。気力を完全に失っていたんですね。けれど発症から1ヶ月もすると回復の兆しが見えてきました。ドクターやナースを含め、私は多大なる愛に包まれていたんです。本当に感謝しています。

F:オフィスにはもう戻られたのでしょうか?

J:そうですね、7月に一度オフィスへ行きました。2時間ほどですけどね。もし3時間もミーティングをすれば疲れ切ってしまいますから。それでもかなり良くなってきたほうなんです。

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身体的にも精神的にも限界まで追い込まれた大病からの復帰。まだ体力的には十分ではないという話だが、着実に体力も取り戻し始めているという

F:個人的には、この冬にはどのような期待をしていますか?

J:スノーボードがしたいですね。出来る限り滑りたいと思っています。以前のように1年に100日滑ろうとは思いませんが、今より体調を戻し、スノーボードをして人生を謳歌したいですね。それが何よりもの冬の楽しみです。

F:旅についてはどうでしょう。また世界を駆けめぐる旅に出たいと思っていますか?

J:妻のドナとはそんな話しもしましたね。前回は家族と一緒にアルゼンチンをはじめとした南米、オーストラリア、ニュージーランド、日本を含めたアジア、ヨーロッパ、アフリカと巡りました。また同じような旅をするのもいいですね。今度は逆まわりで世界をまわりましょうか(笑)。ドナとふたりきりのほうが、フットワークを軽くできていいのかな。でもそういう未来を想像するのは楽しいですね。話していると、また旅に出たくなってきました。

BURTON社を支えながらも自らがライダーとしても活動を続け、数多くのスノーボードの旅を続けている
BURTON社を支えながらも自らがライダーとしても活動を続け、数多くのスノーボードの旅を続けている

F:サーフボードとスノーボードを持って、キャンプをしながらですかゆっくりと世界をめぐる。とても素晴らしいプライベートトリップになりそうですね。一方、パブリックな顔として、ブランドやスノーボーディングのビジョンについて何か思っていることはありますか?

J:明確なビジョンを持っているといいたいですが、真実じゃないかもしれませんね。昔はこう思っていました。ただスノーボーディングがスキーの代わりとなって、裏山や小さな丘でも、まるでソリ遊びをするかのように子供たちがスノーボードで遊んでくれるといいと。やがてプロダクトは進化し、ライダーの技術レベルもあがり、クレイグ・ケリーやテリエ・ハーコンセン、ケリー・クラークといったスーパースターがあらわれました。正直なところ、ここまでスノーボーディングが大きく進化するとは想像もしませんでしたよ。ショーン・ホワイトがダブルコークを世界で初めて成功した時は、いったい何がどうなっているのかわからないほどでした(笑)。ただそうした進化は突然に成し遂げられたものではなく、ライダーたちがビジョンを描き、追求していった結果です。ライダーにパッションがある限り、彼らに寄り添うBURTONも進化をし続けるのだと思います。

F:ブランドをはじめる際に抱いていた理想と、今迎えている現実との間には少なからず違いがあるということですね。今ではアウトドアカンパニーともいえると展開力を見せていますね。

J:BURTONの事業展開に関して重要なことは、ドナと私自身がこの会社のオーナーであることです。株主がオーナーではなく、資本家もいません。他の何かをつくっている大企業の傘下にいるわけでもない。私たちがこの会社のオーナーで、私たちが全てを動かしている。これはBURTONがスノーボードカンパニーであり続けるために、とても重要な要素です。

F:全ての決定権はあなた方にあるということですね?

J:そうですね。そして全てをスノーボーダー目線で決めているということです。また可能な限りの費用を研究と開発に注ぎ込み、より良いプロダクトと新製品を開発していく。プロダクトとイノベーションの2つが私たちにとって最も重要で、スノーボード業界をリードする原動力になっています。

F:過去も現在も、小さいながら良いブランドが存在したし、しています。彼らとBURTONは何が違うのでしょうか?

J:ビジネス的な視点をきちんと持ち得ているかどうか。この点はとても重要です。2008年、2009年は不況でした。特にヨーロッパでは30歳以下の失業率が50%という信じられない状況でした。このことはスノーボーディングにも大きな傷を与えました。結果としてセールスは落ち込み、幾つかのブランドは生き残る事が出来ませんでした。悲しい結果ですね。しかし私たちはスノーボーディングに対して全力で向き合っていたため、今があります。スノーボーディングは私たちの人生そのものであり、未来に向けて進化を続けることは使命でもあります。経済不況からスノーボーディングを楽しむ人が減り、存在の危機を迎えようとも、私たちは共に生きていく決心をしています。

F:BURTONが生き残った理由は何だと思いますか?

J:ビジネスは簡単ではありません。それはどの業界にも当てはまることです。しかしスノーボード業界は不況の経験を一度もしたことがありませんでした。右肩上がりで成長を続けていたのです。だからこそ大変だった。消えたブランドもあります。でも、こうした経験をすると、より強くなるものです。「WEED OUT」という言葉を知っていますか? 直訳すれば「雑草を取り除く」という意味です。たとえ自分の庭に美しい花が咲いていても、同時に雑草が生えていたら庭そのものは美しく見えないですよね。美しい庭のためには、その雑草を「WEED OUT」しなければならない。つまりスノーボーディンという庭は雑草でいっぱい生えていて、不況を経験して「WEED OUT」されたのです。そしてひとつの苗が育つと、他の苗も育ちやすくなり、より健康的な庭ができあがる。いまスノーボーディングは健全な成長を遂げているのだと思いますよ。

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このビジネスを始めたときには、彼もこれほど大きなマーケットになるとは予想していなかったという。最高のプロダクトを生み出すことでブランドは大きく成長した(BURTON社初期のジェイク・バートン氏)
このビジネスを始めたときには、彼もこれほど大きなマーケットになるとは予想していなかったという。最高のプロダクトを生み出すことでブランドは大きく成長した(BURTON社初期のジェイク・バートン氏)

後編(2016年3月4日17時 更新)へ、続く。

JAKE BURTON CARPENTER
born April 29, 1954 in New York City

E_JakeBurton_Adamants_sInterview: Takashi Osanai, Transration: Kenji Kato, Photo: Kentaro Fuchimoto
素材提供:BURTON