夢の中に生きている

塚田さんの仕事は楽しそうですね、
趣味を仕事に出来るなんて素晴しい、
人生を謳歌されていますよね。

とよく人にいわれる。

外からみるとよくそういわれるが、中身は人にいわれるほど満足しているというよりは

辛い!

と思う事のほうが多いと思う。でもやっぱり趣味を仕事にしたことは良かったと実感している。

それは夢の中に生きている時間が長いから。

確かに一般的にいうと、趣味を仕事にするのはそのことが嫌いになるから嫌だという人が大勢いるのも知っている。
大切な趣味は仕事と切り離したい。
趣味を仕事にしても儲からない、食べていく事が出来ない。
趣味はもっとピュアなものでお金の関係する所ではなく楽しみたい・・・等

沢山の異なる意見があるのも知っているし、自分自身を振り返っても、
スノーボードを仕事にしてそのスノーボード事体が一時嫌いになった事もあったからだ。
生きていくための一つとしてお金を稼ぐなら別の事で稼ぎ、そして趣味をしたい。
この意見はもっともだし、自分ももしスノーボードやスキーという雪の上を滑る機会に
出会わなければ趣味を仕事にはしていなかったと思う。

10歳でスキーを履くまでは、夏はスケートボード、冬はスピードスケートをしていた。
20代前半でコロラドVailでスキー教師、スノーボードを始めた。帰国して今は無き
ARAIリゾートでスノーボードの環境整備をしたのち、28才でJAPAHOを立ち上げた。
ずっと底辺を流れている文脈は雪の上に居続けながら仕事をすること。
これは多分アメリカVailで感じたことがベースになっていると思う。
カートという当時ビーバークリークでスノーボードのインストラクターをしていた彼は
シーズンが終わるとハワイに行きテニスのコーチをして、冬にはコロラドに帰ってくる
という生活を何年もしているという。

スノーボードが好きでそれを仕事にするべく1996年に国内初のSBNというスノーボードの
WEBコミュニティーをつくってから18年目に突入した。
変化をしながら、私から、Oba Shigeaki Yoshida Yuki今はTomita KazuがディレクターとなりSBNが変化し進化してきている。

未だに続いている事実こそ、好きな事を仕事に出来ている証だと思う。

でも、実は好きな事を仕事にしていると公言しながら、本当はそのことが嫌になっていた事がよくあった。

人が多くなり、別のIT会社の株主として役員を兼務していた時もあった。
ジャパホも20名を越える社員さんがいた時には、自分が何をやっているのかさえ分からなくなる時があった。
京都にもファッション関連のお店を出展したりもしたし(笑)

会社の社長ってやめたいと思った事も正直何度もあった。

でもね、最近分かったことがあるんだ。

大変な事ばかりに目がいってしまっていた自分がいる事。

今までなんで気がつかなかったんだろう。

その渦中にいたからなのか分からなかったんだね・・・

本当に多くの人に支えられ、厳しい現実という最高課題を沢山もらえたからこそ
今こうして実になったのかもしれない。

今はちゃんと理解できる夢の中に生きている事。

2013年本当に出会った全ての事に感謝です。

コロラド州ベイルというラグジュアリーリゾートでスキー教師をしている傍ら、スノーボードにはまり帰国。 ボードカルチャーを日本のリゾートに初めて持ち込んだ張本人。日本最大のスノーボードの情報サイト「SBN」をはじめ「雪番長」「OUTLAND」「UNTRACKED」等を運営する(株)スタジオジャパホの代表でもある。